こんにちは。持論空論の運営者の ささ です。
2019年6月から始めた雑記ブログになります。
普段の僕の考えや思いつきを文字にして残していくために始めました。旅・語学・歴史など、自分が得意な分野では、訪問してくださった方に有益な情報も共有していけたらと思います。
タイトルの持論空論はNHKのニュース番組『時論公論』のもじりなのですが、実際のところ、主に僕の考えを書いていくためのブログなので「持論」(「自論」という語は誤字か造語なようです。)、そしてその考えは正しさの証明もされていなければ現実に即しているかもわからないので「空論」とつけることにしました。
とはいえ、ここでは責任感をもって記事を書いていくつもりです。インターネット上で誰でも簡単に意見や主張を発信できるようになって以降、私たちが見聞きする情報や主義主張はまさに玉石混淆。そこには個人的な好き嫌いを善悪と混同しているような意見、流行りや一時的な熱狂に流されて他人を誹謗中傷する内容なども溢れています。
そして多くの人々が、そういった個人的な感情や集団的熱狂が彼らを掻き立てるときにしか、問題と向き合おうとはしないのだと思います。もちろんその「人々」には僕も含みます。ですから、自分への戒めや活入れの意味も込めつつ、文章で世の中に何か大切なことや有益なことが伝えていければと思います。
たとえ僕の考えが空論を超えて邪論・暴論であったとしても、そのような指摘により僕が新しい事実や視点を学んだり、考えを改めたりできるのであれば、それも良いと思っています。もちろんその時は「邪論記事・暴論記事」について、書き改めるなり注意書き加えるなりして、正論に近づけるよう工夫していきます。
突拍子のない意見や、極端だったり煽情的だったりする主張がどうしても注目を集めやすい現代ですが、それらはすぐに廃れる一過性のものか、押し通してもさらに激しい反駁を招くだけの主張です。
上に「正論」と書きましたが、この世に本当の正論など存在しません。個人の好き嫌いは絶対的ですが、物事の善悪や正誤は相対的だからです。
しかし間違えることを恐れていては、考えることも意見を持つことも発言することも出来なくなってしまいます。しかし、真に目指すべきは、自らの意見を積極的に発したり行動にうつしたりする自信や直進性と状況や新たな情報によっては意見や行動を変える謙虚さや柔軟性を併せ持つことだと思います。
臭いものに蓋をしたり、人に流されてばかりいることはある意味とても楽です。見たくないもの見ないで済まし、自分の行動に対する責任は軽くなるのですから。
自分が間違ったとわかったときや相手の意見のほうが確からしいと気づいたときに、素直に間違いを認めたり意見を変えたりするのは難しいです。自分の一貫性が失われるのですから。
僕も、面と向かって出会えばまだまだ未熟かつ平々凡々で、すぐに自分の意見に固執する小さい人間です。しかし文章を書いているときは、冷静に物事を考えて、いつもより少し謙虚で柔軟でいられる気がするのです。そしてそのような状態で時間をかけて書いた内容には、虚勢でも過剰でもない、自然な自信がのっているように思えるのです。
そのように思い、このブログをはじめました。
あ、ちなみに、いつもいつもこのように神妙な内容や文体になる予定は全然ないです。
旅・語学・歴史などについては、情報を得る場所として。その他に関しては読み物として、当ブログを活用していただけると嬉しいです。
少しづつ慣れながら地道に書いていきますので、よろしくお願いします。