この度、「10冊読書プロジェクト」なるものを始めてみることにしました。
人生を楽しむにも、人として面白くなるにも、何かで成功するにも、お金を稼ぐにも、大切なのは「独学力」だと思うのです。
古本も安いし、メルカリもあるし、ネットでは無料で勉強できるサイトや動画がたくさん。また月額980円でほぼすべての科目のプロ講師の授業が見られるスタディサプリだの、ほぼ同じような額でドキュメンタリーやアカデミー賞作品まで見られるネットフリックスだの。もはや新聞を取らなくてもネットニュースで良質なものはたくさんあるし、一社の新聞よりもいくつかのサイトを比べられるネットほうがむしえお良いのでは?英語でならさらにある。なんだかんだでウィキペディアの集合知はあなどれないし、配送料無料目的で入ったアマゾンプライムも会員にはプライムビデオを見せてくれるだけじゃなくて、まあまあの本も無料で配信してくれるだって?(kindle持ってて良かった)暗記系のために無料で配信されている学習アプリもたくさんあり、暗記のデッキは利用者が自分で作ったのをシェアしたりもできるから、自分と同じニーズを持ってた人が既に作ってくれていたりする。ハーバードを始めたくさんの大学が一部の授業を無料で世界中に公開していたりもする。すごすぎます。
そういえばスペイン語もギターもほとんどネットで学んだからほとんど金がかかってない。それでも弾き語りしながら何時間も楽しく過ごせて、スペイン語で向こうの美女とお散歩できるのです。本当に良い時代に生まれました。ありがとう。
もはやグーテンベルクの活版印刷に発した知識の民主化は完全体の姿を見せているのでは?と疑いたくなるほどです。きっと実際はさらに進化するのだと思いますが。
改めて言論や商業活動の自由が保証された国に生まれてよかったと実感します。
何をいまさら・・・という内容をつらつら書いていますが、実際はこれらのサービスや環境を使いこなせていない人がほとんどだと思います。
ネットフリックスやプライムビデオでは結局面白いアニメやエンタメ映画を見てしまうし、スタディサプリは講義を聞いただけで覚えたり理解した気になるだけ。ネットニュースは読んでも、ニュースの読み解き方までは知らない。そして毎日ニュースサイトをチェックするなんて続かない。学習アプリだって片手間にするくらいの集中力じゃ効果なんて知れているし、何より無料かつ、本と違って「進めてる感」がないので、99%の人は1か月も続かずに辞めてしまう。
結局身に着くのは時々披露できるウンチク程度で、体系的にものを見たり、本質を語ったりはできるようにならない。でもそれを知恵だと勘違いする僕たちは、自分は新しいテクノロジーとサービスを使いこなしていると錯覚します。
月額分も見ないけど時々は見るから言って契約を切らないサブスクライバー。ツイッターで流れてくるバズニュースを見るだけで現在の情勢をつかんだ気になるユーザー。無料だから使っているアプリ内の広告に時間と感情を費やす欲求不満者。
サービスの提供者はこういう僕たちがいるのを織り込み済みでビジネスをしている。
そして情報を集めて、次のビジネスにつなげている。
ふーむ・・・自分で書いていて耳が痛い(目が痛い?)限りですが、こう考えると、結局今も昔も求められている「独学力」の質は変わらないのでは?
そんな気分になってきます。
そこで原点回帰ということで、10冊読書という新しい試みを始めることにしました。
単純に
ある特定のジャンルについて評判の良い本を短期間にうちに一気に10冊以上読む
だけです。
これの利点として考えられることは結構ありまして
- 一定量読むことで知識の体系が見えてくる
- 同じことを異なる複数の本から学ぶことで、事実の裏打ち、解釈や考えの幅、復習と同じ効果、などが期待できる
- 本は無料ではないので買ってしまった以上読む方向へのプレッシャーがある。(10冊以上も買えば1万円くらいにはなるので。)
- 片手間ではないから、やった感が見えて楽しい
- 短期間に読むことで脳がそのジャンルモードになる
- ブログの記事の元にできる
- 勉強グセ・読書グセが付く
- 本はネットと比べて、知識のつまみ食いや選り好みが起こりにくい
などなどなどなど。
そもそものきっかけは、僕が最近ちょっとした有名人とお話しする機会があり、そのときに聞いた話です。
その方の努力の程度が半端ではないというか、尋常ではないというか(同じ意味か)。
本を読む量にちょっと引いたんですね。引くくらい読んでました。
ショーペンハウアーが『読書について』で
「本を読むことに一日を費やすものは馬鹿だ。思考にこそ時間を使うべきだ。」
みたいなことを言っていて、”考えること至上論者”だった僕はまんまと唸り、「読書はするけど一番大切なのはそれじゃない。他人の意見を復唱することなんて誰でもできる。自分で考えて意見を練り上げることに意味があるんだ。」
などと思っていたわけです。
正直今でもそうは思っているのですが、
それを言ったのがかのショーペンハウアーだということを忘れていました。
彼ほどの哲学者からしたら僕たちパンピーの読書量など読書のうちには入りませんわ。
だから僕が彼の金言を胸に抱いたうえで、めいっぱい読書して勉強してればいいんだと、そう気が付きました。僕ごときがたどり着くレベルではショーペンハウアーが言う”読書しすぎ馬鹿”の段階になど届くはずがないので安心です。
事実そのこの間お話しさせていただいた方ほどの読書家でも、独自の思考はまるで死んでおらず、釣りあげられたての魚のように生き生きとしておりました。
そこでわかりやすく感化された僕は、早速努力のギアをあげようと。
なんでもやればできるのです。え、10冊も!?多い、無理だよ~。と思ってしまえばそれまで。やると決めてやるもそれまで。
まず最初のジャンルは「お金」なんですが
このプロジェクトを始める前は、そしての例のその方とお話しするまでは、
次の1年くらいで真剣にお金の勉強しよう、10冊は読みたいかな~
などと思っていました。
そして今開眼した僕は叫ぶのです。
1年で10冊は全然真剣じゃねえ!!!
と。
うん。10冊なら1か月でやらないとダメですね。それでこそ強力な学習になる気がします。
短期詰込みはすぐ忘れるとも言いますが、アウトプットにつなげればいいだけのこと。英単語や歴史年号、数学公式の丸暗記とは違うのです。
ふむ、だったらアウトプットついでにこの読書行動自体もアウトプットしてしまえば良いのでは?と思い、「10冊読書プロジェクト」と相成りました。
唐突に始まり、唐突に終わる記事になってしまっていますが、とりあえず読んでいきます。
今既にやろうかと考えているジャンルは「お金・経済・投資」「発達障害」「歴史」「AI」「地政学」などです。「お金・経済・投資」はすでに始まっております。非常に楽しいです。
読書レビューのようにするつもりはないのですが、結局そんな感じになるかも知れません。
果たして10冊で何が見えるようになるか、何も見えるようにならないのか!?