少女文学の金字塔『赤毛のアン』を読みました。
24歳男だけど読みました。
実際のところ少女文学にしては長いし、繊細だし、なかなかの読み応えがある作品です。日本ではアニメ作品がお馴染みですが、僕は世代的にほぼ未見で原作を読むことに。
実はとても感動する素晴らしい作品だと胸を打たれてしまったので、ちょっと感想を書いてみます。
Contents
あらすじ
ご存じの方も多いと思いますが簡単にあらすじを。
舞台はカナダのアヴォンリーという田舎町。グリーンゲイブルスと呼ばれる家に住んでいるのは未婚の兄妹であるマシュウとマリラ。彼らは人手が欲しいので孤児の少年をひとり引き取ることにします。
孤児の少年がやってくる日、マシュウは最寄りの駅がある街まで馬車を走らせます。しかし、駅にいたのは少年ではなく、アンと名乗る赤毛の少女でした。
気が弱いが優しいマシュウは、まさかアンを駅に置き去りにするわけにもいかず、一旦グリーンゲイブルスに連れて戻ることにしました。気の強い妹のマリラになぜ連れてきたんだと責められることを想像しながらも、マシュウは快活に話す明るいアンのことが気に入ります。
グリーンゲイブルスにつくと案の定はマリラは機嫌を損ね、少年じゃないとまともな人手にならないと訴えます。なんとかこの手違いを正そうとしますが、行く場所のないアンをひとまず家に置くことに。
ようやく孤児院を出て家族ができる、そしてアヴォンリーという想像通りの自然豊かで素敵な土地にきた、と大喜びしたアンですが、マリラとマシュウが欲しかったのは男の子だと知り深く悲しみます。その姿をみてマシュウはアンを引き取りたいと思いますが、マリラがそう簡単には認めません。
手違いを正す手続きに時間がかかり、アンはしばらくグリーンゲイブルスにいることになりますが、なんとかグリーンゲイブルスに留まりたい一心でマリラの指示する仕事に取り組みます。その間に、おしゃべりで空想好きなアンは多くの話をマリラに聞かせ、真っすぐに彼女にぶつかっていきます。
最初こそ空想ばかりで仕事に集中しないし、おしゃべり好きでたまらないと感じたマリラでしたが、時が経つにつれてだんだんと真っすぐで純朴なアンを愛おしく感じ始めます。
結局マシュウとマリラは手続きをキャンセルし、アンをグリーンゲイブルスに置くことに決めます。
それから、グリーンゲイブルスのアンは、このアヴォンリーで学校に通い、初めての腹心の友であるダイアナと出会い、多くの事件を引き起こしながら成長していきます。
学校で癇癪を起してギルバートという級友を殴ったり、ダイアナに間違えてぶどう酒を与えて酔わせたり、ダイアナの妹の命を救ったり、コンプレックスの赤毛を直すのに髪を染めてみたり、ピクニックに行きたい一心で咎のない罪を認めたり・・・と大忙し。
しかしそれでも少しずつに立派な女性に成長していくアンは、努力することを学び、素晴らしい学業成績を収めて別の街に進学していきます。
最終的にグリーンゲイブルスに帰ってきたアンを見て、マシュウとマリラは、アンを引き取り娘として育てて本当に良かったと思うのでした。
アンのコンプレックス
『Anne of Green Gables』(グリーンゲイブルスのアン)という原題は、日本では『赤毛のアン』として翻訳されました。
このタイトルから、アンが赤毛であることを知っている人は多いと思います。
この赤毛というのがアンにとっては最大のコンプレックスであり、これを他人に馬鹿にされたりすると癇癪を起してしまうほど気にしているのです。
実際にこれを染めようとして失敗し、学校に行かなくなるというエピソードがあるほどです。
基本的にアンは空想好きで言語表現と感性に優れ、自分でもそれが自分の良いところだと認めているようです。
さらにその想像力があだとなり、空想的なことを延々としゃべってしまうところが、人に嫌がられるかもしれない部分だということもわかっています。
しかしこのような良い点や欠点とは別に、アンは漠然として自分への自信のなさを抱えており、それが赤毛という象徴的な形で表されています。
特に親友であるダイアナと自分を比較して「私もダイアナみたいだったらな…」と感がることもしばしば。自分に対しての肯定感が低いのです。それはアンが孤児として育ったという環境的な要因も反映されてのことでしょう。
マシュウとマリラ
この物語がこれほどに感動的なのはマシュウとマリラについて卓越したキャラクターライティングの賜物だと思います。
意志が弱く大人しいマシュウが気の強い妹のマリラに対してはじめて自分を通そうとしたのが、アンを引き取りでした。
わかりやすい表現はしないものの、最初から最後まで一貫してアンを愛し見守るというのがマシュウの姿勢。アンの教育はマリラの仕事なのでマシュウは口を出しませんが、いつも味方であることはアンにしっかり伝わっています。
マリラはマリラで表面的には気が強く、柔らかい感情を表現するのは苦手で、アンには小言をいったり怒ったりすることが多いですが、実際には人情溢れて、だれよりもアンを愛すようになります。
少女文学でありながら文庫にして400ページを超える長編文学であるこの物語の中で、アンが引き起こしたくさんのエピソードを通して、マシュウとマリラの心象や変化は、アンのそれと比較しても見劣りしないほど丁寧に描かれています。
アンを引き取ってからずいぶんたって、最後のシーンが近づいた時、立派になったアンをみてマシュウとマリラが言葉を交わします。進学先で、ひたむきな努力の末、エイヴリー奨学金の受賞者にアンが選ばれたあとのスピーチを二人が聴いたシーンです。
この不器用で愛情表現がとことん下手な二人の、アンへの愛情があふれた会話。
このシーンで僕の涙腺は崩壊しました。
「あの子を育ててよかったじゃないか?マリラ」
「よかったと思ったのは。これがはじめてではありませんよ」
『赤毛のアン』モンゴメリ著 村岡花子訳 新潮文庫
そして家に戻ったアンと、疲れ切った様子のマシュウとの会話。
「もし、あたしが男の子だったら、いま、とても役にたって、いろいろなことでマシュウ小父さんに楽させてあげられたのにね」とアンは悲しそうに言った。
『赤毛のアン』モンゴメリ著 村岡花子訳 新潮文庫
「そうさな、わしには十二人の男の子よりもお前一人のほうがいいよ」とマシュウはアンの手をさすった。
「いいかい?-十二人の男の子よりいいんだからね。そうさな、エイヴリーの奨学金をとったのは男の子じゃなくて、女の子ではなかったかな?女の子だったじゃないかーわしの娘じゃないかーわしのじまんの娘じゃないか」
手違いから始まった物語。最初こそ女の子が来たことに困っていたマリラでしたが、すぐにアンに対する愛情を感じ始めたのは誰の目にも明らかでした。
そんなマリラが、最後に、いつだってアンがいてくれてよかったと思ってきたということを語るこのシーン。涙なしには読めない・・・、
さらに口下手のマシュウがアンに精一杯愛情を語り掛けるシーンも、読み返している今でも涙がこみ上げてきます。
400ページという長い物語、さまざまな騒動を経た後にたどり着くこのシーンは胸に迫ります。是非ともネタバレなどとは思わず、物語の順番で読み進めてから味わっていただきたいシーンです。
アンは自分を好きになる
赤毛に象徴されるコンプレックスを抱えていたアンですが、最初に赤毛を馬鹿にされたことで絶交関係にあったギルバートという級友の男の子とは、かなり意識しあったライバルとなります。
いや、もしかしたらギルバートはずっとアンが女の子として気になっていて、変にライバル意識を燃やしていたのはアンだけかもしれません。しかし、アンも素直になればギルバートのことが気になっていたのでしょう。
ともかく図らずも切磋琢磨する形で勉学につとめ、互いに成長したふたり、
そんな甲斐もあってアンはギルバートとともにクイーンズという学校に無事進学しグリーンゲイブルスを一時離れますが、そこでも努力を重ね、先述のエイヴリー奨学金の受賞者に選ばれます。
グリーンゲイブルスでの幸せな生活と、マシュウとマリラの愛情、さらにダイアナとの深い友情に支えられ、アンは勉学に励み、努力する喜びを覚えていきます。
そして授書写発表前に、力の限りを尽くして、あとは天命を待つのみとなったアンから、とても力強く、この物語でもっとも印象深いセリフがはなたれます。
学友たちと、お金持ちになりたくないか、という話をしているときです、
アンは自分はすでにお金持ちだといってこうつづけます。
「そうね、あたしは自分のほか。だれにもなりたくないわ。たとえ一生、ダイヤモンドに慰めてもらえずにすごしても」とアンは言った。「あたし、真珠の首かざりをつけた。グリーン・ゲイブルスのアンで大満足だわ。マシュウ小父さんが、この首かざりにこめた愛情が、ピンク夫人の宝石に劣らないことを知ってるんですもの」
『赤毛のアン』モンゴメリ著 村岡花子訳 新潮文庫
コンプレックスを抱えた孤児だったアンが、物語を通して、自分以外の誰にもなりたくないというようになるのです。
ダイアナのようだったらよかったのにと自分を卑下していたアンが、です。
それもマリラやマシュウの愛情に根差した本当の幸福を、アンが心から感じているからにほかなりません。
そして物語の最後では、序盤からずっと口をきいてこなかったギルバートと和解します。
そもそもギルバートと絶交状態になったのは赤毛を馬鹿にされたからでした。
実はとっくにギルバートをを許していたけど、意固地になってしまっていたというアンですが、最後に明確に彼と和解したことは、赤毛というコンプレックスを乗り越えたというひとつの象徴だと理解することができます。
幼気な少女だったアンが、紆余曲折を通して、幸せな女性に成長する姿は何度思い返しても感動的です。
まとめ
少女文学として知られている『赤毛のアン』ですが、それはアンに感情移入した場合の捉え方なような気がします。
物語の中では、マシュウとマリラの感情もずいぶんと丁寧に描かれるため、読者からするとむしろマシュウとマリラ目線でアンを見てしまうくらいです。
彼らに感情移入するほうがむしろ泣けるような気がするのは、やはり作者のモンゴメリも、同じような視点でアンの成長を見守っていたからだと思います。
『赤毛のアン』は、少女文学を枠を超えて、大人と子ども、男性と女性、あらゆる読者が入り込める懐の深さをもった作品です。
ダイアナ、レイチェル夫人などの脇を固めるキャラクターも個性があり、魅力的です。
やはり読み継がれる名作にはそれだけの理由があると改めて思い知らされた形となりました。
万人にオススメできる小説です。
コロナウイルスの影響で、家にいることが推奨される今、『赤毛のアン』を読んでみてはいかがでしょうか。
では、最後まで読んでくれてありがとうございました。