持論や考え

人間は理解できないものに怒る【理解は、意志と想像だ】

新型コロナウイルスの拡大によって世界中が未曽有の混乱に見舞われています。

2020年の世界恐慌は歴史の転換点として、今後の社会に大きな影響を残すことは間違いありません。

それよりもさらに恐ろしいシナリオは
コロナ騒動が落ち着いてアフターコロナの世界が来るのではなく
今後のしばらくコロナが蔓延する世界が常態化し
Withコロナの世界でしばらく生きていかなけれならないということです。

これまでの歴史でも感染症というのは短くても数年間に渡り
世界を蝕むものでした。
現代の技術や通信手段をもってしてもウイルスに対して十分な抵抗ができなければ、新型コロナがじきに収束するという見立てを信じる根拠はありません。

僕はウイルスや現在なされている医療開発については無知なので
あくまで想定として楽観も悲観もしすぎずに、冷静にこころがまえを作っておかなければと考えている次第です。

しかしひとつ確かに言えることは
人類が新型コロナに抵抗していくうえでの前提条件として
「人間同士の間に分断を作ってはいけない」

ということです。

人間同士が分断しないように個人がするべきことは何か考えたとき
できることのひとつは「怒りに支配されないこと」

怒りは、理解できないことによって引き起こされます。
一方で、理解できれば怒りはなんとかコントロールできるはずです。

そして、理解というのは自然にできるものでもなく、能力がある人にしかできないものでもありません。
理解には、意志と想像の力によって、誰もが到達できます。

コロナの影響下で分断される人間

Photo by Robert V. Ruggiero on Unsplash

このたびの敵は、人間ではなくウイルスです。
目には見えない敵です。

そして僕たちに身体的な脅威として迫っています。

しかしその影響下で、すでに人間同士の分断が起きています。
ネット上は政治や感染者に怒り
世界では嫌中論が広がり
日本では若者と高齢者の対比構造を印象付け報道がされ
アメリカでは自己防衛のために銃を購入する人が増え
イタリアなどでは長引く外出禁止の中で家庭内暴力が深刻化しているといいます。

ネット上のネガティブ発言が重なって大衆の間にヘイトが蓄積。
感染者は誹謗中傷にさらされて精神的にも追い詰められます。
嫌中論が高まれば国家間の連帯は困難になり、経済的な分断にもつながりかねない。
世代間で足を引っ張り合うも、なんの解決にもならず
果ては市民や家族の間で傷つけあうようになるのでしょうか。

そんなことは絶対にあってはなりません。
苛立ちや怒りはできるだけ抑えて、冷静に連帯をとって現状に対処することからすべてが始まります。

人間は理解できないものに対して怒る

Photo by Andre Hunter on Unsplash

現在、多く怒りの声が聞こえます。

それは政府の対応に対する怒りや、ウイルス拡大を助長するような行動をとった人への怒りです。

確かに政府の挙動には不可思議な部分がありますし、対応策にも疑問はあるでしょう。
そして、多くの人が意識的に自粛に徹する反面、自己本位で軽率な行動をとる人がいれば怒りたくなる気持ちもわかります。

しかし、それでも怒りに任せた発言や非難は避けるべきです。

そもそも人間は、どんなときに怒るのでしょうか。

僕は人間は理解できないものに怒るのだと思います。

「なんでこんなこともできないんだ」と怒る親や上司がよくいます。
これは、相手がなぜそんなに簡単なことができないのか理解できないから怒っているのです。自分が幼いころや、自分が新人だったころを覚えている人や、相手の立場や気持ちを想像して理解しようとする人からは、このような発言は出てきません。

犯罪なども同じです。
加害者がなぜそんなにひどいことをしたのか、到底理解できないから人は怒りに震えるのです。

自分に対して苛立つときもそう。
なんだこんなミスをしたんだろう、どうしてすぐに諦めてしまったんだろう。
過去の自分が理解できないのです。

すべてが自分の理解の範疇で進んでいる限り、人間が怒るということはそうそうありません。

怒りという感情が常に悪いわけではありませんが、これをコントロールする能力は、間違いなく僕たちの人生を楽にしてくれます。

怒りをコントロールするには、怒りを抑えつけるのではなく、理解の範囲を押し広めることです。
理解の範囲が広がれば、理解の外で起きる現象が減っていきます。
理解の外で起きる現象が減れば、わざわざ怒る対象も減っていくということです。

そして理解の範囲を押し広めるのは、意志の力です。

理解する意志と想像力で怒りは収まる

Photo by Jeremy Beck on Unsplash

新型コロナの騒動の中で。ヨーロッパに卒業旅行に行った大学生や、症状がではじめているのに帰省した女性がずいぶんと叩かれていました。

確かに彼らの判断は間違いだったでしょう。

しかし彼らの立場になって考えてみてください。

大学を卒業したらいつまで続くともわからない会社員生活。気の置ける学生時代の友人と長い休みをとって海外にいけるのも最後のチャンス。この旅行のためにコツコツ貯金してきました。悩みに悩んだ就職活動をようやく終えて、本当に自分が選んだ就職先で正しいの自問自答しながらも、なんとか腹を決めて卒業論文をこなし、学生として最後の楽しい思い出として、ずっと卒業旅行を楽しみにしてきたのかもしれません。
高い金額を払ってツアーを組み、食べたいものや行きたい場所や泊まるホテルも決めてあります。飛行機だってとってしまった。

あなたが彼らの立場だったとして、3月上旬にこれをキャンセルする勇気があったと、確信していえますか?

3月上旬といえばまだヨーロッパで感染が爆発する前です。
以下のページを確認してみてください。

https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/coronavirus-chart-list/
(チャートで見る新型コロナウイルス感染 – 日本経済新聞)

新型コロナといえばまだほとんど武漢のものだと思われていて
ヨーロッパではアジア人がコロナと言って差別されているなどというニュースが飛び交っていた時期です。

もちろん彼らの判断は結果として間違いでした。
しかし彼らの立場になって考えたとき、卒業旅行をキャンセルする賢明さと勇気を持てたであろう人が、彼を今叩いている人の数ほど多いとは到底思えません。

少なくとも僕は自信がないです。
卒業旅行は一生に一度、このチャンスを逃したら二度とは来ないのです。

彼らを擁護するべきだと言いたいわけではありません。
繰り返しになりますが、結果として彼らの行動が間違いだったことは事実です。
しかしだからといって叩いても仕方がないのです。

想像してください。
彼らの中には今、新型コロナを発症している方もいるのです。
新型コロナはたとえ軽症でも肺炎となれば相当の苦しみを伴うそうです。
そんなウイルスの被害者に、「人殺し」という言葉を浴びせる人がいます。

僕にとっては、そのような歪んだ正義感に満ちた人の心の方が恐ろしいように思えます。

彼らは症状に苦しんでいるだけでなく、後悔や自責の念に駆られてもいるほず。
僕だちが罵声を浴びせなくても、彼らもきっともう、事の重大さには気が付いています。

実際に結果として軽率な行動をとってしまった人から感染するなどの実害や、それに近い恐怖を感じた立場にいる人が怒っているのならともかくとして、テレビやネットでニュースみただけの人たちがトゲトゲの正論を振り回して怒り狂う道理はありません。

怒らず、ただ学ぶべきです。
起きてしまった失敗から学べばいい。
そういうときに、怒りの感情は邪魔になります。

なぜなら、自分ではこんなことやらない、と思っているからこそ怒りの感情が湧くからです。こういうとき、人はまだそれを他人事で考えています。

もしかしたら自分も同じ失敗をしていたかもしれない。
先々週までコロナを甘く見ていた気がする。
ではこれからもっと事態が悪化することを想定すると…
今の自分の認識でもまだ実は甘くて、何か失敗や判断ミスをするかもしれない。

このように考えて、出来事から深くを学び取ろうとするとき
そこに怒りの感情が同居することはできません。

理解が怒りをおさめるのと同じく
怒りは理解を妨げます。

ここまで書いてきたようなことに想いを巡らすことが想像力であり
これを為すのは相手のことを想像しようする意志にほかなりません。

卒業旅行でヨーロッパに行かれた学生たちの話の例が中心になりましたが、規制された方や、そのほかの例についても、とるべき姿勢は同じなはずです。

さらに、人は理解できないものに対して怒りを覚えるということから考えられることは、みんなが怒っている本当の理由は「新型コロナのことがよくわからないから」ではないかということです。

今回の敵はウイルスという目に見えないものです。
目に見えないものはもちろんよくわかりません。
さらに医療研究者たちをもってしても感染を止める効果的な方法や対策などがハッキリとわからず、ワクチンのいつ完成にも目途が立たない。
温かくなるまでの辛抱という当初の予想も裏切られました。

感染経路も不明のものが多く、経済もいったいどこまで落ち込むのかわからない。
理解できないことは自分でコントロールできません。
人間は自分でコントロールできないことに大きなストレスと感じます。

そのストレスが怒りに繋がります。
すべて新型コロナウイルスが悪いのです。

そんなことは自明ですが
もうひとつ誰の目にも明らかなことがあります。
それはウイルスに怒っても何にもならないということです。

そこで、ウイルスに直接怒るのではなく、
感染が拡大する中で。不適切な行動をとってしまった人や、十分に対策をとれていない政府に怒りを転嫁しているということが考えられます。

ちなみに世界的には日本はかなり抑え込みに成功しているほうだと認識されている節もありますが…。僕も今の政権は支持しませんが、日本は国としては相当に恵まれているのでこれ以上は望むべくもないくらいだと思います。というか国ってそういうものです。完全体であったことなど歴史上一度もありません。コロナの件に限らず。。。
ちなみに日本のコロナ対策の現状についてはこんな見出しの記事もあるくらいです↓
いつ爆発的な感染が始まるかはわかったものじゃないですが。
https://courrier.jp/news/archives/195742/
(まったく異なる検査態勢を取った”2つのライバル国” 米紙「日本と韓国、コロナ対策でアメリカはどちらを見習うべきか」- クーリエジャポン(元の記事は米ワシントンポスト))

話がそれました。
要するに新型コロナ関連の話で、他人を人格から否定するような発言をするくらい怒っている人は、おそらく理解できないコロナウイルスという敵への怒りを。罪なき過ちを犯した人間に転嫁しているのではないかと思うのです。

もちろん、彼らがで放っている言葉も表現こそ辛辣であれ、内容としては正しいこと多いのです。
確かに軽率な移動や外出は控えるべきです。全家庭にマスクを2枚配られても救いにはなりません。少なくとも今は現金支給で国民が安心して家にいることができる体制を整えるほうが良いと、僕も思います。
(今後この政策がどう評価されるかは結果のみが示すわけですが。)

しかしそれでも、このような主張は彼らの怒りとは別の問題なのです。

なぜ怒りを抑えるべきなのか

Image by Bessi from Pixabay

では、なぜ怒りを抑えるべきなのか。

理由のひとつはすでに書きましたが
現状の理解や、失敗からの学びにおいて
怒りの感情はその妨げになるからです。

しかし、この記事の書き出しは新型コロナがきっかけで
人間同士の間に分断が生まれているという内容でした。

この記事の本筋として言いたいことは

怒りは抑えるべきである。
怒りは人々の分断を引き起こすからだ。

ということです。

これは最初に例示した世界規模での嫌中論やグローバリゼーションへの反感などマクロの視点でも言えますし、家庭内暴力などミクロの人間関係にフォーカスしても同じです。

物理的には国境を閉ざし、分断状態になりつつある各国ですが
コロナへの対応というレベルにおいては国家間の連帯が不可欠になります。

グローバリゼーションへの反動的な意見も噴出しつつありますが、決して現代グローバリズムがウイルス拡大の原因ではなく、これはモンゴル帝国以来、「世界史」が成立した段階から見られた現象だということは、『サピエンス全史』のユヴァル・ノア・ハラリ氏も語っています。

http://web.kawade.co.jp/bungei/3455/?fbclid=IwAR3gXOHe63W85CvoMBy7q9N6BeSB9zJewtbp7G6SXyu3_WE65a9ahCHjnno
『サピエンス全史』のユヴァル・ノア・ハラリ氏、 “新型コロナウィルス”についてTIME誌に緊急寄稿! – Web河出

ですから今は中国の責任を追及している場合ではありません。もちろんコロナに収束の色が見えれば、今後の感染症対応のための知見として、正確な追及をすることには意義はあると思いますが、「中国の、コウモリスープを飲むような非文明性・野蛮性のせいでこうなった!」などという反感がヨーロッパを中心に高まっているのはやるせないです。

世界規模で脅威となっている新型コロナウイルスに対抗というのに、国同士で不信感を高め合ったら解決できるものもできなくなるでしょう。

国同士の問題だから市民は関係ないなどとは考えず
いたずらに嫌悪を煽るような発言は、全員が差し控えるべきだと思います。

また、日本でも最近活発に議論されている若者と高齢者の問題も同様です。
どうしても危機意識の薄く自覚症状のない若者が、重症化しやすく致死率も高い高齢者に感染を広げているという文脈での報道が多いです。

これに対してまず一部の高齢者は反応し、マスコミは「若者さえ出歩かなければ感染らないんだから、家にいてくれるとありがたい」などと言って外出する高齢者の姿を放送。

これを受けて若者の中に「ジジババ」などと高齢者を揶揄する者が現れる(アンチ高齢者的な発想でジジババ発言をしている人は平常からよく見る気がしますが…)一方で、軽率に出歩く若者に対して怒りを抱く若者もいます。世代間だけでなく、世代内でも分断は起きています。

マスコミというのはいかに注目を集めるかに尽きる商売ですから、煽情的な報道が多くなるのは宿命です。これを変えるのは困難ですから、僕たちが情報を受け取り方を考え直すべきです。

反射的に怒るのではなく、何が起きているのか理解する意志を持ちましょう。

マスコミの報道も、高齢者の発言も、若者の行動も、ほんのほんのほんの一部を切り取ったものに過ぎません。過剰一般化をするのはやめましょう。

これから外出自粛要請が強まり、都市封鎖と言うことになれば(これを書いている2020年4月5日の段階では都市封鎖(ロックダウン)の宣言は出ていない)、おのずと家庭で過ごす時間が1日のほとんどを占めるようになります。

イタリア・フランスなどでは外出禁止のストレスから家庭内暴力が問題化しているにも関わらず、サポートセンターにかかってくる電話は平時の半分以下に減ったといいます。
加害者が家にいるというのに、DVのサポートセンターに電話で相談など出来るはずがないからです。

フランスはこれに対して、薬局などからサポートセンターに電話をできるようにするなどの対策を講じる考えだそうです。
しかしそもそもとして、人類全体がウイルスという脅威にさらされている今、それに追い詰められた人々の中で、人間同士の争いが起きてしまうというのはとても悲しいことです。

人間同士による新たな問題が生まれれば、政府・ソーシャルワーカー・医療従事者など、まさに全体のために動いてくれている方にさらなる問題を押し付けてしまうことになります。

そうなれば、ウイルスへの対応の妨げとなります。

現在は、あらゆる人間同士の諍いやトラブルが、対コロナの戦いの妨げとなります。
どうしても他者が理解できずにイライラしてしまうことはあると思いますが、心の芯ではお互いに思いやり、愛し合う気持ちを忘れてはいけないと思います。

そのために、まずは感情的にならず、相手を理解する意志を持ちましょう。
叩くのではなく、お互いのために協力を募る姿勢が必要です。
今回の危機を自分事して捉えられる人数が増えれば増えるほど、人間の社会としての抵抗力は強くなると思いますが、正しいことを主張するばかりで争い合っていてはいけないと思うのです。

苦しい人は声をあげ、拾える声を拾っていくことがイチバンです。
争うのではなく助け合うことをしましょう。
そのためには、意志をもってお互いを想像し、理解することが先決なのです。

おわりに

生意気を言っていますが
僕自身まだ自分が世の中のために出来ることが何かわかっていません。

今後どれだけ長くこの惨禍が続き、どこまで悪化してしまうのかわかりませんが
人間同士の連帯が大切であり続けることは間違いありません。

最後に名曲 We Shall Overcome を紹介して終わります。
これまでに反戦運動や公民権運動など、さまざまな歴史の重要場面で人々の連帯を支えてきた曲です。

ABOUT ME
ささ
25歳。 副業で家庭教師をやっているので教材代わりのまとめや、世界50か国以上旅をしてきて感じたこと・伝えるべきだと思ったこと、ただの持論(空論)、本や映画や音楽の感想記録、自作の詩や小説の公開など。 言葉は無力で強力であることを常に痛感し、それでも言葉を吐いて生きている。 ときどき記事を読んでTwitterから連絡をくれる方がいることをとても嬉しく思っています。何かあればお気軽に。