僕は結構プライドが高いほうだと思います。が、それはヒジョーーーに良くないことだとも思ってます。
でも自他ともに認める自分のキャラクターというものがあるし、人間は自分の中に一貫性がある状態を心地よく感じるようにできているので、なかなか直せない悪い癖です・・・。
そこで今回は自分の過去の失敗談でも書いて、プライドを削るきっかけにでもなればなあと思っています。
しかし、ただ失敗を書いただけでは読んでくれている方の役に立たないので、その失敗の後、僕がそれをどう乗り越えたか、まで書いてまとめようと思います。
本当に伝えたい事は後半の「現在の行動によって過去の意味は変えられる」に書いてあります。
が、しばしその前にしょうもないバカタレの失敗談・カンニングばれた事件にしばしお付き合い願います。
Contents
みんながやっているなら自分だって…
「みんながやっているなら自分だって…」
この発想はクズの発想です。
良いこと場合、「え、じゃあみんながやらなかったらやらないの??」って話になるんですが、それでも良いことに参加するのだからまだ全然OK。
悪いことの場合は最悪で、ポイ捨てとか、無人駅でのキセルとか、バレなきゃOK精神で平気で犯罪にまで手を染める始末になります。
人生においての決断もそうです。
「みんなが大学行くから」「みんながそうしろというから」
クズですね。最悪です。
これは自分の人生の責任を他人に押し付けているだけです。こういう考えだと、それでうまくいったときには助言をくれた人にロクすっぽ感謝もしない割に、それで失敗した場合はすべてを助言した人のせいにするのです。
この最悪のクズ理論を、僕はあろうことか大学の学年末試験に適用したのです。
大学1年の秋学期、僕は成績優秀者に入るべく勉学に精を出していました。
そしてほとんどの授業で最高評定がとれる算段がついて迎えた期末シーズン。
僕はひとつの授業で中間試験で最高評定に基準を満たしていませんでした。もちろん期末ではこのロスを挽回する得点を取る必要があります。
しかしこの科目は学部内でも難しいと評判でした。
この科目の試験形式は変わっていて、試験の1週間前に試験で問われる問題が2問知らされます。学生は1週間かけてその問題について調べ、意見や持論の展開をまとめておきます。そして試験本番ではその調べた内容や意見とその根拠を論述として答案にまとめるのです。
このような試験形式から、履修生の間では、家で作成した答案を丸暗記して、試験中にそれを答案用紙に再現するという手法がよく取られました。これはもちろんあまり賢いやり方ではありません。論点の軸だけ覚えておいて、本番ではその時の自分の言葉で軸をつなげて書く方がスマートです。
しかし問題はこの試験、全文英語で回答せねばならないということでした。英語の試験ではなく国際関係論がらみの科目です。しかし学部のポリシーで、すべての授業が英語で行われているので、もちろんこの科目でも、講義も英語、ディスカッションも英語、試験も英語です。
これは海外経験豊富で英語が堪能な友人たちにはまだいいですが、僕のようなゴリゴリネイティブジャパニーズには相当高いハードルです。そうなると最も不毛に思える全文記憶作戦が、実際には最も有効な作戦でありえるのです。
他の科目の勉強もある中でも、何とか僕は自分が自信をもって最高評定の基準を満たしていると思える答案を作りました。そしてその全文暗記に取り組みました。しかし、どうしても時間が足りない・・・そんなとき
こんなうわさが聞こえてきました。
「この試験では辞書の持ち込みがOKだ。電子辞書のメモ機能に前もって作った答案をいれておけば、あとは本番ではそれを書き写すだけで楽勝だよ。」
ずるい。 そう思いました。
何故なら僕のハンディタイプの電子辞書にはメモ機能などついていなかったからです。
僕はこんなに努力しているのにみんなはカンニングするのか??ふざけるなよ。そんなの許せない…
「みんながやっているなら俺だって…」
はい、ここで出ました。クズ発想です。みなさんお待たせしました。ようやくここで出ました、クズの誕生です。誕生日おめでとうございます。
僕はここで愚かにも残されたわずかな時間で、自慢の答案を愚直に記憶する努力をやめ、どうすれば自分もカンニングできるかを考えました。本当に今書いていても恥ずかしいです。クズだこいつは。
そして思いついた方法が、今から思えば非常にお粗末なのですが、紙の辞書を持ち込んでそれにカンペを仕込む、という愚策でした。
カンニングすることじたいそもそも愚策なのに、思いつく作戦もつくづくしょうもないという、救いようのない19歳です。
もちろん時間が限られる試験中に紙の辞書など不利になるだけです。周りが電子辞書を使う中、ひとりだけ紙の辞書をめくっていたらそれはそれは目立ったことでしょう。
「みんながやっているなら俺だって」
こう考えたときの僕は、なんとしても成績優秀者に入りたいという歪んだ欲望と、目の前に落とされて楽をするためのエサのおかげで、完全に思考が停止していたのだと思います。
自分で考えるということをつづけて、まともな人間として生きたいのであれば、「みんながやっているなら自分だって」という発想に縛られることは、何が何でも避けなければならないことでした。
カンニング、無事バレる
後日、当該科目の教授に呼び出されて無事カンニングを自白させられました。
いや、させていただいたという方が正しいかもしれません。今から思うと大変ありがたいご指摘・ご叱責でした。
カンニングがバレた理由は、紙の辞書が目立ったこと以外に、僕の挙動が不自然だったこともあった思います。
僕は馬鹿がつくほど愚直で真面目で素直な母親に育てられたこともあって、曲ったことをするのが悪いことだというのは、本心ではわかっていました。
しかし両親には申し訳ありませんが、それに常に従って生きられるほど、立派で高潔な人間にはなれなかったのです。
だからこそ、悪いことをしなれていない僕がカンニングなどをしようとすると、ソワソワしてしまって仕方ないのです。
良い人間である尊厳もなければ、悪いことを遂行する度胸もないという最悪に中途半端でどうしようもない状態です。そりゃバレます。
ですから、教授に呼び出された時点で何を聞かれるのか完全にわかっていました。
教授室についたらもう洗いざらい話してしまおう。この罪はここで清算して、これから自分で考えて、自分で正しいと思うことをする立派な人間になろう。
そのように考えていました。カンニングなんてした自分が情けなくて仕方がありませんでした。
教授室につくと、教授は冷静に
「なんで呼ばれたかわかってると思うから、自分で話してごらん。」とおっしゃいました。
今に思うとこれがとてもありがたかった。教授室に入る前に覚悟を決めていた僕は、教授の促しに応じて、すべて洗いざらい話してしまい、深々と頭を下げて何度も謝罪しました。
教授と話したの5分にも満たなかったと思いますが、あまり多くを語らず、あとは教授会での決定を待つようにとだけ言われました。
結局、普段の授業態度や、他の科目の成績・反省の意が認められ、「当該科目とそれ以降の試験の単位没収と2か月の停学」という比較的軽い処分で済みました。この科目の試験が最後から2番目に過ぎなかったことと、停学期間は実質春休みと被っていたのでないのと同じでした。
最小限の罰に留めていただいたことを感謝し、気を改めなければならないことを深く胸に刻みました。
しかし、僕が本当に苦しんだのは、カンニングがバレたからでも、処罰が与えられたからでもなく、
自分自身を裏切った自分と向き合わなければならなかったから でした。
沈黙の2週間、そして気づいた問題の根本
カンニングについて白状するめに教授に呼び出された日の帰りから、僕は必要以外には一切人と話さなくなりました。
このとき僕の自尊心は地に堕ちていました。
ほとんどの人間は、自分のことを平均よりは優しく、平均よりはまともで、平均よりは道徳的に正しい人間であると思っています。
例にもれず僕もそうでした。道徳的なことを主張したこともたくさんありました。自分は善い人間だと信じたかったのです。いや、実際にそう信じていました。
しかし、僕はカンニングをして停学になったのです。普通の人はこんなズルはしないし、こんなバカげたヘマはしません。どこからどうみても平均以下です。
自分という人間が、急に矮小なものに思えました。
こんな人間は、話さなくていい。
そう思いました。
余計なことを言うな。お前には何も言う資格がない。何に意見をいっても、何を批判をしても、お前は所詮、カンニング野郎なんだろ?
春休みで大学もなく、けがでバイトも辞めていたので、何もすることがなかった僕は、3日間はほとんどベッドから動かず、ずっとずっと自分という存在について考えていました。
これまでの自分はなんだったんだろう。
これからどうしたいんだろう。
学費まで払ってくれている親に手前、こんなことをして、いったいどうしたいんだろう。
事情を知っている両親は僕が相当へこんでいるのを察してか、何も聞かずにそっとしておいてくれました。
家族間で必要な会話はしましたが、僕はそれにも出来るだけ短く答え、ほとんど誰とも話さない日々を過ごしました。
音楽を聴いたり、本を読んだり、昔書いた詩を読み直したり。今までに自分という人間をつくりあげてきた芸術などにも再度触れました。
自分が大学に入るまでにした努力や、大学に入ってからの自分の生活を克明に思い返しました。
そして僕は、これは単にカンニングだけの問題ではない、という結論に至りました。
カンニングは僕が大学生活を無為に過ごしてきた結果が形として現れただけのもので、問題の根本はカンニングではなく、僕の大学入学以降の生活態度全般にありました。
第一志望の大学に落ちて、経済的な負担を背負って浪人する覚悟がなかった僕は、本当に不貞腐れて大学に行っていました。
気持ちを切り替えて努力をしようと思ったこともありました。しかし大学での新しい雰囲気や出会いに流されたらそんなことも忘れ、何にも自分では努力しないだらけた日々を過ごしていました。
入った大学のことも「俺にとっては所詮第二志望。来たかった場所なんかじゃない。」と舐めた考えた方でいたと思います。しかも、先述したように授業がすべて英語という環境で、ついていくだけでも大変は大変だったので、そこにいる自分に満足し、すごい努力をしていると思い込んでいたのです。
こんな状態では本当に大学生活4年間を無駄にしてしまう。
そんな危機感に見舞われました。自分は何かをしなければならない。もっとマシな人間にならなければいけない。
そこでそれまでの人生で最も充実していた時期、最も自分が成長していた時期、最も輝いていた時期はいつだっかについて考えました。
それは奇しくも大学受験に向けて必死に勉強していた1年でした。結局第一志望に落ちて、不貞腐れて第二志望に行く未来につながった、受験シーズンこそ、今思えばつらくも楽しい、充実した日々でした。
つまり、僕という人間には、何か目の前に目指して突き進むための目標が必要だったのです。
第一志望に受かるという目標を失って、次に来る何かを全然見ないままに過ごしてしまったことが、大学1年の期間を無駄にした根本原因でした。
その巨大で致命的な問題に比べてら、カンニングは氷山のように大きな問題の一角に過ぎませんでした。
次なる目標は世界一周か
とにかく何か目標を設定しなければならないということは分かったものの
したいことや頑張れる対象というのはそう簡単に見つかるものではありません。
沈黙を守ったまま悩み続けていた僕ですが、当時ハマっていた映画鑑賞だけは継続していました。
近所のレンタルビデオ店で100円で借りたDVDを自分の部屋でノートパソコンでひとりで観るのです。
ベッドに寝転がって、悩んで、考えて、まだ自尊心は堕ちたまま。
そして考えることをやめたカラッポの脳で映画を観ていました。
カンニングがバレてから2-3週間経ったときのことだったと思います。
ある日、朝から一歩も外に出ずベッドに寝ころんでいて、午後になって観始めた映画が僕の人生を変えました。
ショーン・ペン監督の『イントゥ・ザ・ワイルド』という映画でした。
この映画の主人公は何の問題もなくエリート人生を歩んできたものの、経済的な成功や、地位や名誉を空虚に感じ、本当の意味で生きるということを追求するためにアラスカの地に行き、森での生活に身を投じます。
実話を基に作成された映画です。
僕はこの主人公の価値観に今までにない共鳴を覚えました。そして僕もこんなことがしたいと心から思いました。
この時に脳に電撃が走りました。
「世界一周だ」
この考えが脳に落ちてきてから、僕の胸はバクバクと鼓動し、この計画がきっと現実のものになると思うとワクワクが止まりませんでした。
森の生活には命の危険が伴うし、人の土地を借りたりしないといけないので難しい。
しかし、世界一周ならネットなどでやっている人が出している情報もたくさんあるし、何より、イントゥ・ザ・ワイルドの主人公のような冒険感もある。
そしてこの時までコンプレックスだった英会話だって、きっと世界中の人と交流するうちに上達するはずだ。
お金だって準備だって必要だから、1年後の今頃出発するために、今から1年はその貯金と準備に全てを捧げよう。
そのためには今すぐに行動を起こさないといけない。
目の前に夢中になって目指すものが必要だった僕には、まさにうってつけの目標でした。
映画を観終わる頃には、僕はすっかり世界一周に行く気になっていて、とりあえず早くそれに向かって行動したくて溜まりませんでした。途中で行きたくなくなったらその時にまた考えればいいと思いました。
人生でこれより大きな電撃を食らったことを、後にも先にもまだありません。
その後、ネットや図書館で、旅に必要な情報を集めまくり、すぐにバイトにも応募しました。出発日と旅行期間に目星をつけ、かかる費用を片っ端から計算しました。そしてそこから逆算して、月にいくら稼いでいくら貯めればいいか、そのためには週何時間働けばいいかを割り出して、バイト先にも伝えました。
大学の履修もバイトの時間が確保できるように組みました。
ただ、世界一周計画のために親が学費を払ってくれている本分である大学での学業が蔑ろになってしまっては筋が通りません。
そこで僕はこの準備期間1年の大学での成績がGPA3.5以上でなれば、お金が溜まっても世界一周に行ってはいけないという自分ルールを定めました。
それからはバイト・節約・勉強に邁進する生活。とにかく夢中で、世界を冒険する自分の姿を想像しない日はありませんでした。
イベントのかき氷屋・講習期の塾講師・国勢調査員・レストランの調理スタッフ・メルカリでの販売など、メインでやっていたバイト以外にもお金が入るツテがあればいくつでもバイトを掛け持ちして、寝る間を惜しんで働きました。
1年後、無事に大学では優秀な成績を収めて、必要な貯金も貯めた僕は、ようやく両親に自分の計画を話しました。
始めは驚いて心配した両親ですが、彼らは僕の1年間の努力をみていたので、何か考えていることがあるということには感づいていたようです。
保険や予防接種にも惜しみなくお金をかけることや、現地でのお金のおろし方、連絡手段など彼らが心配するであろうことに対する説明と答えは常に準備していました。
両親は僕の覚悟と準備を知ると、ものの10分で出発を認めてくれました。
いつも僕の意志や希望を尊重して見守ってくれる両親には本当に感謝しています。
そうして僕は無事に世界一周に出発しましたが、実際には出発までで目標の半分は達成したようなものでした。
しかしこの旅での経験が僕の人生をさらに変えていくことになります。まあ、それはまたの機会に。
現在の行動によって過去の意味は変えられる
世界一周を無事に終えた僕は、これまで以上に様々なことに興味を持ち、勉強し、真摯であるようになったと思います。
何より、すべてのことにおいて、自分で考えて行動するということを徹底するようになりました。
もう「みんながやっているなら自分も」という短絡的な発想で行動するのはいけないことだとよくわかっています。
自分で考えて切り開いた世界が、あんなに素敵だったのですから。
とはいえあくまで人生を立て直すために目の前に置いた仮の目標だった「世界一周」を達成してしまって以降、また、目標がないせいで悩むことはないのかと思うかもしれません。
実際にそういう悩みは今でもあります。『イントゥ・ザ・ワイルド』を観ていた時に「世界一周」という言葉と共に落ちてきた電撃以上のものとは、今までまだ出会えていないからです。
しかしそれでも自分の人生が大学1年のときのようにダメダメにならないので、世界一周を含め、様々な経験を通して自分が成長した結果だと思っています。
冒頭にも書いた通り、ちょっとプライドが高いのを何とかしたいとか、まだまだ未熟な点はたっくさんあるのですが・・・。
ただ今だからいえることは
あのとき受験勉強を必死でやらなければ、第一志望に落ちた悔しさはなかったし
あのとき受験に受かっていたら、不貞腐れた大学生活をしてカンニングをすることもなく
あのときカンニングをしなければ、僕は世界一周には出かけておらず
もし世界一周に行っていなければ、僕は今とは全然違う人生を歩んでいたに違いなく
僕は今の人生を生きている自分のことが、結構好きだということです。
人生、塞翁が馬とはよく言ったものです。良いこともあれば悪いこともあります。
しかし、それらは必ずしも無関係ではありません。
「現在の行動」によって「過去の意味」は変えられるからです。
あのときあんなに後悔したカンニング行為ですが、
今から思えばあの過ちがなければ、いったい僕はいつまでズルズルとしょうもない人間でいつづけたのでしょうか。
考えるだけで恐ろしいです。
あのときのカンニング行為がなければ、今の僕はありません。海外で出会った素敵な友人たちとも出会っていませんし、きっと英会話だって今ほど流ちょうじゃありません。
今となっては僕は「あのときカンニングをして、そしてそれを教授が見つけてくれて本当に良かった」とまで思うのです。
過去の事実は変えられませんが、その解釈や意味は、その後の行動次第で変化していきます。
だから、悪いことがずっと悪いことのままであることは決してありません。
それを変える力は、僕たち自分自身の手の中にあるからです。
そしてそれは僕たちの手の中にしかありえないものでもあります。
こんなことを考えるようになり、僕は完全にカンニングという挫折から立ち上がることができました。
人が見れば大したことのない小さな挫折だと思います。それでも僕にとっては大きかった。
まさに生き方が変わった瞬間でした。
この記事をここまで読んでくれた方には、是非他の記事にも目を通してほしいのですが、そうするとわかる通り、僕はその後、人生で二度会うことないような親友を亡くしています。
間違いなく人生で一番つらい経験でした。今でも泣くことがあります。
しかし、それは悲しく、寂しいことでしたが、決して悪い出来事ではなかったと考えています。そう考えるのは彼に対しても、僕がとりたい態度ではありません。
そして僕は、彼が生きたことといなくなってしまったことは変化しない事実ではあるけれど、その意味はこれからでも無限に広げることができると信じています。
僕の人生に最も影響を与えた彼の鼓動は、僕がこれから生きて影響していく範囲にまで確実に届いているからです。
お気づきかと思いますが、人生で最も苦しい出来事からなんとか這い上がろうとした僕を助けてくれたのは、僕がカンニングという小さな挫折から学んだことでした。
過去の意味を変える方法を体感的に知っているということは、とてつもなく大きな悲しみさえ背負って上を向ける力になります。
みなさんが挫折したとき、失敗したとき、自分に失望したとき。
もう一度上を向いて、進んでいける手助けに、この記事がなれれば嬉しいです。
過去の意味は、変えられます。
その挫折は、失敗は、失望は、それでおわりではありません。いつかきっと僕たちの力になります。
そのためには、行動するしかないのです。
最後まで読んでくれてありがとうございました。