持論や考え

【イラン】経済制裁下の国民の声ー現地のイラン人たちと話して感じたこと

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イランに行ってきました

こんな旗がテヘランではいたるところに。

2019年5月に2週間ほどイラン旅行に行ってきました。偶然ラマダン月でした。

ルートは テヘラン→カーシャーン→イスファハーン→ヤズド→シーラーズ→タブリーズ です。

ベタベタですね。

歴史や文化が好きな僕としては、サファヴィー朝の繁栄ぶりやゾロアスター教会、ラマダン中の様子、ペルセポリスなどを体感出来て大満足でした。イラン人20人の混じって富士山級の山に登ったり、ピンクの塩湖を見たり、あまりやる気のなかった自然観光も周りに流されてついていくうちに満喫できてしまいました。

最近は、イラン関係で国際情勢がよく動きます。長引く経済制裁も収束の気配を見せず。

そんな状況もあって、現在国際的に困窮した立場に置かれているイランの国民の生活や感情はどんな様子なのか強い関心がありました。

そこで、カウチサーフィンなどを利用しまくり、イラン人の方々にかなり突っ込んだ話を聞かせていただいたので、書いておこうと思います。

ただ、基本的に私の既習知識と、イラン人から直接聞いた内容、そして私が帰国後ちょっぴり調べただけの内容がもとになっている記事です。ブログのタイトル通り、空論の域はでないので、ご勘弁を。真偽を明らかにしたいからはもっと真面目な報告書や論文を参照ください。

緊張を高める中東の国際情勢 

僕が滞在している間やその前後に、国際情勢は緊張を高めました。イラン国内では特に変わった様子は見られず、平和そのものなんですが。実際にはこんなことが。

  • ペルシア湾に米軍の空母が配備された
  • ホワイトハウスがイランの革命防衛隊をテロ組織と宣言
  • トランプ大統領がゴラン高原のイスラエル領有を認める署名
  • イスラエルによるゴラン高原の改名(「トランプ高原」へ)
  • オマーン湾で日本とノルウェーのタンカーが襲撃された
  • アメリカがタンカー襲撃の首謀国をイランと断定
  • イランがアメリカの無人機を撃墜
  • トランプ大統領が無人機撃墜に対する報復としてイラン攻撃を一時許可

僕が帰国して以降に起きた、この文章は書いている直近に起きた出来事も含めていますが、なんにせよこのような有様なので、イランの方々と会話するうえでも、自然と話題が政治や経済にいくことが多かったです。

また、イランは危険で狂った国だと世界から誤解されています。(実際イランに行くと伝えた人たちの反応は、国籍を問わず、「イラン?危なくないの?」でした。危なくないです。)子ブッシュ大統領がが「悪の枢軸」と呼んだことがまた響いているのかも知れません。アメリカの声はデカいですから。

だから国民は、事実を伝えるためか、イランのことや自分たちのことをよく話してくれます。

直接聞いたイラン人たちの声

一緒に3600mまで登山したイラン人のみなさん

「トランプが大統領になってから、通貨の価値が5分の1になった」

「肉の値段が3倍になったのに、給料は増えるどころか減っている」

「経済制裁がなければこんなに貧しい国ではない」

「民主主義なんてないようなもの。大統領は選挙で選ぶが、最高指導者は国民には選べない。でも全てを牛耳っているのは最高指導者だ。」

「政府はクソだ。政府が憎い。」

「アメリカはイラン国民の革命を支援するというが、あんな国の口車に乗るほど私たちは馬鹿じゃない。政府は憎いが、本当にアメリカが我々イラン国民のことを思うのなら、経済制裁をやめてほしい。」

(外国人観光客に対する観光料金がイラン人よりもかなり高いことに文句をいう人がいるという会話の中で)「そんなことは本当に思うべきじゃない。私たちの生活の苦しさをわかってから言ってほしい。高いって言ってもあなたたち観光客の国の物価からしたらなんでもない額なんだから、私たちの経済を助けると思って気持ちよく払ってほしい。」

「自由がない。息苦しい。イスラム教にもうんざりだし、頑張って勉強してもこんな経済状況じゃ余裕のある生活なんてできない。他の国に行こうにもイランのお金じゃいくら貯めても先進国じゃはした金。希望がない。」

「イラン革命は間違いだった。あんなものが起こらずに近代化していれば中東で最も開かれた良い国になっていたはず。」

「若いやつらは全然イスラムの教えを守ろうとしない。」

「経済制裁を続けても苦しむのはイラン政府じゃなくて私たち国民。政府は国民のことなんかどうでもいいんだから、いくら制裁されても頑固に動かないから意味ない。困ったらまた私たちからの搾取するだけ。」

(経済的に苦しいはずなのにホームレスの姿が西欧の先進国よりも少ない。また、実際にイラン人の家にお邪魔して生活を見るとそこまで生活レベルが低くは見えない。それはどうして?という問いに対して)「お互いに助け合うのがイランの文化。家族や親せきで追い詰められた人がいても絶対にホームレスになんかさせない。もちろん助ける側だって大変だし、嫌な気分になると思う。それでも目の前で困ってる人がいたら助けるのこの国の誇り。生活は実際苦しいけれど、優雅に見えるカーペットやソファは一度買ったら何十年も使えるもの。経済制裁の前から持ってたものなの。苦しい生活でもひもじくは暮さない。だって私たちの心は豊かなままだから。でもひもじくしか生きられなくなる日が来ちゃうかも知れない。」

「イランは危なくないし、文化も歴史も自然たくさんある。広いから同じ時期でも地域によっていろんな気候が見られるし、言語や文化も地域によって様々。もっとたくさんの人に本当のイランを見て、それを世界に伝えてほしい。」

「イランのホスピタリティとフレンドリーさは世界一だよ。」

「礼儀正しく、相手を尊重するのがイランのマナー。いろんな言葉の言い回しも間接的だったり、詩的だったりする。ペルシア語はとても豊かな言語だしね。日本と似てるかもしれない。」

「テロリストの国へようこそ(笑)」

「この国の政府は独裁者だよ。」

最も印象的だったのは、上で太字にした「希望がない」という声を聞かせてくれた女性でした。彼女の家に3泊泊めていただいて、彼女とはもちろん、両親や友人ともたくさんのことを話しました。

とても賢く、勤勉で、優しい彼女はまだ20歳にもなっていません。したいことや行きたいことがたくさんあるはずで、これからの人生に希望を持つ権利があります。その彼女に「希望がない」と言わせる。政府とか、国際関係とか、そういうのっていったい何なんでしょうね。

彼女は実際10代とは思えないほど聡明で、僕が帰国した今でもよく連絡をとっていろいろ聞かせてもらっています。この記事を書くといるのも、僕が勝手に彼女に約束してきたからでもあります。

そして僕がイランで最も印象に残っているのは、彼女との会話で起きた一幕。

僕「イランは安全だし、大きな街はすごく発展してるね。でもあまりの物価の安さに驚いた。」

彼女「紙幣がすぐ束になっていっぱいになるでしょ。」

僕「うん。ゼロがたくさんつくしね。発展具合と物価の安さが全然釣り合ってないと思うんだけど、これはやっぱり」

彼女「経済制裁のせいで通貨価値が暴落してからね」

僕「イランは発展のレベルでいうと世界でも真ん中よりは全然上にくると思う。でも、えーと、正直なところいうと、45か国くらい僕が訪れた国の中で、今のイランは最も安い国のひとつだと思う。」

彼女「なんてみじめ・・・ひどすぎる、こんなんじゃなかったのに。」

最後に「ひどすぎる」といったとき、彼女は涙を流しました

僕は息を飲む衝撃を受けました。20歳にならない優秀な女性が、国の経済状況という個人ではどうしようもなく、逃れられない運命に、涙するのです。

これが経済制裁なのか、と思い知りました。

イラン人の声を聞いて僕が感じたこと

いや、正直驚きました。今までいろいろな国で現地国民の話を聞いてきましたが、今回は異質でした。皆が同じ苦しみや感情を共有している部分もあれば、真っ向から対立している部分もあるようです。しかし、皆がなにかを強く望んでいるという雰囲気はあったかも知れません。その切実さは、ちょっと日本の「増税は困る」とか「年金はもらえるんだろうな」といったものとは一線を画するものでした。僕が感じたことをいくつかまとめておきます。

世代間のギャップ

これには2つのギャップがあり、ひとつは宗教的なギャップで、ひとつは政治的なギャップです。そしてこの2つは密接に関係しているようです。

イランは「イランイスラーム共和国(Islamic Republic of Iran)」という名の通り、イランである前にイスラーム共和国です。国教はイスラーム教シーア派。そして国の最高指導者は宗教的指導者でもあります。イラン人は生まれながらにイスラーム教徒。改宗は重罪であり、法律上、信仰によっては死刑に処せられることもあるそうです。

 若い世代

若い世代はイスラーム教への信仰が薄いです。押し付けられたものという意識があり、六信(唯一神アッラーの存在や、死後の世界の信仰など)は信じていても、五行(断食や礼拝など)は行わない人がほとんどのようす。なかにはイスラーム教は信じていないといって憚らない人もいました。公では言っていいものなのか、疑わしいですが。また女性にヒジャブ(髪を隠すスカーフ)はどんどん後退して、カチューシャのような位置に。あれでは完全に髪が見えていますが、おしゃれを自由に楽しみたいという気持ちや、暑い邪魔という気持ちが、信仰に勝っているということでしょう。

政治についても、若者は信仰が薄いためか、かなりはっきりと政府や指導者を批判していました。Bad, terrible, sucks, shit, stupid, dictator, hateなど、なかなか強い表現が使われていました。

 中年以上の世代

一方、中年以上の世代は敬虔なイスラーム教徒が多いようです。おそろくこれはイスラーム教は獲得したものという意識があるからだと思います。脱イスラームを掲げ近代化に進んだトルコに倣ってか、時代の流れか、イランもパフレヴィー王朝時代に急進的な西欧化を図りました(白色革命、アメリカによる支援)。しかしあまりに基盤の弱い国に起こった急な工業化や、文化と融合してイランのアイデンティティを形成してきたイスラームを否定する世俗化には無理があり、国民の間の経済格差を広める結果に。それがホメイニ師によるイラン・イスラーム革命の起こるベースとなったわけです。取り上げられた信仰を取り戻す。そして、経済格差に苦しむ国民に「神のもとの平等」という文言はより強く響いたのかもしれません。これは僕の仮説に過ぎませんが、この革命に近い時代を知る人ほど信仰が厚い理由のひとつではないかと思います。ちなみにこの世代は五行も行っている人が多いようです。断食や礼拝をしっかりしているようでした。また女性は室内であっても(僕がいるからというのもあるとおもいますが)ヒジャブで頭全体を覆っている人が多かったです。

娘や息子が政権や指導者を批判をしているとき、上の世代は彼らを前に沈黙していることが多かったです。どんなに悪い政府でも宗教権威をあからさまに批判するのは避けたいのかもしれません。

信仰におけるギャップがそのまま政権への反応にも出ているようでした。先ほども書いた通り、イランでは政治のトップと宗教のトップは同一人物ですからね。ちなみに、革命の指導者ホメイニ師を受け継いだハメネイ師が現在の最高指導者です。(名前が似とるっ。ペルシア語の発音だとどっちの話をしているのかわかりにくかった。)

ただ、政府や指導者を称えたり崇めたりなど、それらに関する良い話というのは一切と言っていいほど耳にしませんでした。どこかしらに政府を支持する人がいるとは思うのですが・・・。どちらにせよ「革命防衛隊」などというものがあるくらいですから、支持率は低く、政府も国民を押さえつける必要があると考えるような状況ということでしょうか。

愛国主義の高揚

これは昨今世界中で起きていることでもありますね。日本でも日本すごい!系の番組が多すぎるとか眉を細めている人も多いかもしれません。ここでは愛国主義の良し悪しを語るのは話題違いなので控えますが。

イラン人はイランの話をするのが大好きです。僕も日本の話をするのは好きなのでなんとも言えませんが、他の国出身の人たちと比べてイランの人は、自国のことを本当によく話してくれます。そしてイラン人たちはイランが大好き。

「ファルシー(ペルシア語、イランの公用語)は世界一豊かな言語だ。あの深い詩的表現はこの言語でしかできない。」

「イラン人は礼儀正しさを本当に重んじる。だからタロフをするんだよ。」(タロフについては別の記事でまた書こうと思います。)

「アメリカの流行曲は本当に浅い。彼らが深いといって聴いてる音楽は僕らからしたら普通のレベルだよ。」

「イランは世界一長い歴史を持ってる。古代世界ではイランが世界の頂点だったんだ。」

「日本は好きだよ、イランと同じように礼儀正しく親切だから。欧米はそうじゃない。」

「日本やファルシーのように間接表現を多用する文化のほうが温かくて素晴らしい。西洋では思ったことはそのまましか言わないし、実際的な話ばかりでビジネスみたいだ。」

「イランは海も山もあるし、四季もある。雪も降るし、砂漠もある。世界で一番美しい国だよ。」

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「イランのホスピタリティとフレンドリーさは世界一でしょ?」

「イランの女性は最高だよ。みんな料理が上手なんだ。」

「こんな親切はイラン人なら当たり前だよ。助け合いの文化なんだ。」

といった感じに、イラン人はイランのことを褒めまくります。ずいぶん最上級を使った表現が多かったです(the best in the worldなど)。

僕個人としては、旅先であった人が自国のことをたくさん話してくれるのは嬉しいのですが、上の言葉の中には、真実も勘違いもあると思っています。真偽はともかく、イラン人たちは平均的にイラン大好き状態にある様子はいたるところに見られました。冒頭のイラン国旗もそうです。いたるところに国旗だらけ。

誰もが自国には愛着があり、愚痴があると思います。ただイラン人の話は、愛着部分は「イランは素晴らしい。」である一方、愚痴部分は「政府が、制裁が、」と被害者の口ぶりでしか語れないことが多いように感じました。

もちろん経済制裁については国民は被害者以外の何物でもありません。しかし、イランの文化自体にもネガティブな要素は必ずあるはずです。例えば日本でいえば、「年上を敬う文化は素晴らしいけど、極端な年功序列がしんどい」とか。そういった自文化批判が語られることはあまりありませんでした。先ほど紹介した10代の女性だけは客観的にイランを見ているように思えましたが。

国民を歯牙にもかけない政府や、国際社会からの制裁を脇に置いて、客観的にものをみることを要求するんはやはり酷だと思います。ナショナリズムが高まるのには理由があります。世界から誤解され、「悪の枢軸」やら「テロ組織」やら言われたらイラン国民が反動化として、イランプライドを誇示するようになるのは当たり前だと思います

ただ制裁前の様子は僕は知らないので、これが近年の現象ではなく、そもそもこういう国柄か教育という可能性も全然ありますね。

愛国主義は、排他思想に繋がりやすいので、現状の国際情勢下ではいささか不安な傾向ではありますが。

僕の責任

さて、イラン国民の苦しみや困難さ、そして高まる愛国主義について書いてきました。

もしこれからも経済制裁が続き国民がさらに追い込まれたらどうしましょう。

国際情勢の緊張が高まり、仮に軍事衝突が起きたらどうしましょう。

そのように、イラン国民の夢や希望や家族や人権が奪われるとき、僕はどうしよう

世界はまだ国境で別れていて、人々のアイデンティティも国家に属しています。

しかし消費活動だけに注目すれば、僕たちはとっくに世界市民です。今この瞬間に海外由来にものがすべて消えたらどうなるでしょう。僕が今文字を打っているラップトップは消え去るでしょう。あなたがこれを読んでいるスマホも消え去るでしょう。ある人は夕食に食べるものがなくなり、ある人は素っ裸になるでしょう。

僕たちはすでに世界中と支えあって生きています。だから、世界の真反対で起きることでも「私には一切関係がない」なんてことはありえないのです。

日本は石油の5%をイランから輸入しているそうです。僕たちは中東情勢など大して気にもせず、ガソリンの価格変動に一喜一憂します。

しかし、アメリカの要請で日本もイランからの石油輸入を制限。経済制裁に加担しています。国際関係は綺麗ごとでは語れませんが、日本が戦後ずっとアメリカに大きく逆らえないのは変わりません。そしてその政権を支持しているのは僕たちです。

ある意味、イランに対する経済制裁を容認している僕たちのような、裕福な国の国民が、イランに遊びに行ってこんなことを言うのです。

「なんでイラン人はこんなに安いのに、俺たちはこんなに払わなきゃいけないの?」

「イラン行くなら今のうちだよ。経済制裁のせいで物価が安いから。」

そして口先では、こんなことも言います。

「イランは本当はとっても安全で、綺麗な国!」

「人も優しいし、歴史も文化もとても奥深いよ。」

う~ん。本当に難しい。

海外で貧困や環境汚染を見るといつも、責任の大きな一部の端に自分がいて、自分はそういう問題を知らないうちに助長しながらも、そのおかげでいい暮らしをしているという事実と向き合うことになる。

これも同じ問題だと思います。

しかしこのように考える機会を持つことはやはり大切ですね。結論が出なくても、解決策が出なくても、意見を声に出さなくても。もし「何か」が起きたときに、「考えたことがある」というのはやっぱり大きいと思います

事が起きてから考えたのでは遅いから。

少なくとも僕は、このまま制裁が続き、イラン人がもはや生活することすらできなくなったり、万が一イランがアメリカやイスラエル、サウジアラビアなどと交戦状態になったりしたら、

制裁や戦争に反対するデモなどに参加したり、ネット上で呼びかけたりするつもりです。

なんとかして、彼らをこれ以上苦しめることを容認しないという立場を表明します。

それが僕の考える 僕の責任

この記事を書いて公開しているのも、その責任の一部だと思っています。

あ、別にイラン贔屓なわけじゃないですよ。実際イランの悪口だけでこの記事くらいの文量書こうと思えば書けると思います。(笑)

結局ここにたどり着きたくて書いた記事な気もします。(笑)

長くなりましたがこれが、僕がイラン人の声を聞いて感じたことでした。

記事自体はこれで終わりですが、下に僕がイラン滞在中に書いた文章を載せておくので是非読んでください。この記事の下敷きになったものです。

それでは。

イラン滞在中に書いた文章

記事自体はもう終わっているのですが、最後に僕がイラン滞在中に書いた文章を載せておきます。僕が本当に読んでほしいのはこっちなのですが、一応ブログという体裁上、今回の記事のようにまとめした。しかし、この記事と下の文章の内容はかなり被っています。そんなには長くないので、是非読んでやって下さい。

トランプ政権になってからイランの通貨価値は5分の1に暴落したという。
街を歩いても貧困は見えない。道にもゴミは少なく、ホームレスは西欧各国よりも少ない。各家庭には完備されたキッチンがあり、名産のペルシア絨毯や家族全員分用意された大きな肘掛けソファが部屋を彩る。そんなリビングで家族みんなで新しいテレビを観てくつろぐのがイランの家庭風景らしい。ナバトと呼ばれる砂糖を入れたイラン茶を片手に。
経済制裁下のイランがここまで優雅なのは国民の努力による。ネット規制がある国だが、国民は皆VPN接続を使い世界を見る。テレビにも国際アンテナを繋げて各国の番組を傍受。そのように他国の様子を窺い知るイラン人たちは、貧困に陥るまい、貧者のように振る舞うまい、と誇りを保った生活をする。経済制裁前の、もっといえばホメイニによるイラン革命前のパフレヴィー朝の、良き時代のイランの発展を国民は忘れない。

「イラン革命が起きてから時間が止まってしまった。世界はどんどん発展していくのに。」

イスラム教シーア派を国教として政教一体を掲げ最高指導者になったホメイニ。それを継いで現在の最高指導者の席に居座るハメネイ。大統領選挙に国民は参加できるが、その上に立つ最高指導者の選出に国民は関われない。ラマダン月でも断食をせず、1日3回の祈りも捧げない若者がほとんどだという事実にも現れているように、イラン政府と国民の間には大きすぎる乖離がある。若者のほとんどは政府を憎んでいるといってはばからない。「私たちの政府は、独裁者だ。」

今のイラン政府は国民が動かしているものではない。革命の時代の人々は馬鹿だったんだという若者たち。パフレヴィー朝はアメリカなどの支援を受けて脱イスラム・西欧化の方向に近代化を進めていた。急激かつ独裁的に進められた西欧化に国民の格差は増大。それを食い止めたのが、純粋に国民によってなされた稀有な革命であるイラン革命だったはずだ。しかしそれも蓋を開けてみれば、宗教的世界観に留まることを国民に強制しながらも、彼らの生活を歯牙にも掛けない新たな独裁政権の誕生に過ぎなかったのだろうか。

それにも増して国民を苦しめているのは、アメリカとの敵対だ。革命前の政権を支援していたアメリカは、現在のイラン革命政権を常に敵と見る。今では互いに互いをテロ組織の罵り合う始末。

経済制裁が始まって久しいが、トランプ政権が成立してからその勢いは増した。イランの国民はいつまで耐えられるのか。しかし、イラン国民は革命や市民運動に対してある種のトラウマを抱えていることを忘れてはいけない。次なる革命を成し得たあとに待っているものは何か、誰にもわからない。歴史を見ても、革命の後には血生臭い時代がやってくることが多い。

イラン政府が国民の生活をまともに取り合えば、強硬姿勢を崩すことも一つの選択肢かもしれない。しかし全く国民を第一に考えるという姿勢を全く見せないイラン政府に対する経済制裁をこれ以上続ける意味があるだろうか。

制裁で苦しむのは、イラン政府ではなく国民だ。
そして国民は政府を支持しない。

これではまるで親の仇の借金を無理やり背負いこまされて毎月取り立て屋にしょっぴかれているようなものだ。
イラン国民が置かれた不条理すぎる現状はいたたまれない。

発展の度合いと物価のバランスがあまりにも不自然な現在のイランを見ると、経済制裁を原因としてこの数年でどれだけの変化が起きたのか、想像するまでもない。
「45カ国を周ってきたが今のイランが一番安い国だと思う。」と言ったら、まだ20歳のイラン人の女性は涙を流した。何の罪もない若者が、未来に希望を持てずに、圧倒的な事実の前に涙を流すしかないのか。

イランの観光地では、イラン人と外国人観光客で入場料などが違うのが当たり前だ。10倍の差があることもある。
これをアンフェアだと罵ることはある視点では正当かもしれない。そのように書いているブログやレヴューは日本語でもそのほかの言語でも散見される。
「同じように楽しみに来ているのに、国籍は選べないのに、何故?」
しかしそれは本当にアンフェアだろうか。特にイランからの石油の輸入を制限することで経済制裁の一端を担う日本の国民にとって、それはアンフェアなのだろうか。
10倍といってもせいぜい3-400円の入場料に過ぎない。7000年の歴史を持つ国、かつては世界の覇権を握った国の歴史的遺産に、その金額は高すぎるだろうか。
大局的に捉えなおせば、それは極めてフェアな価格設定だろう。大国のメディアによるネガティヴキャンペーンで危険で原理的な国、危険な中東の一国と誤解されている安全で美しく優しい国のイラン。経済的な危機に陥りかけているこの国に、自ら関心を持って足を踏み入れ楽しんでいる観光客がその金額にケチをつけて外貨の流入が停滞したら、この国は一体どうなる?

イランに入ってから1週間に満たないが、かなりの人数と立ち入った会話をさせてもらった。宗教や文化については世代や個人の間に大きな不和がある。また政府と国民の不和はさらに大きい。 
宗教と政治と経済、諸外国の思惑、すべてが混じり合ってうごめき、国民の生活を脅かしている。

思い出すのは、大学の国際関係や国際支援の授業でのディスカッション。
制裁には武力制裁と経済制裁の2種類がある。もちろん即座に人命を奪う武力制裁は最悪の選択肢だ。

「経済制裁をすれば良い。」

しかし私たちは、経済制裁が何たるかを知らずにそんなことを言っていた。
そんなことを言って結論に達した気でいた。

経済制裁がどれだけの人生から希望を奪うかを。
経済制裁をもってしても対象政府が動こうとしない間に、どれだけ国民が苦しむのかを。
経済制裁も武力制裁のように、出来るだけ避けられるべき最終手段だということを。

何を知らずに言っていた。
「経済制裁をすればいいじゃん。」

いいじゃん、じゃねえよ。

北朝鮮の国民は、一体何を思い、どんな生活をしているのだろう。
それは私たちには関係がないことなのだろうか。

今までの私があまりにも無知なバカタレだっただけかもしれないが、
ずいぶん旅をしてきて、
これほど「伝えなければならない」という気持ちになったのは初めてだ。

きっと世界には、まだまだ見るべきもの、行くべき場所、知るべき事実がある。出会うべき人がたくさんいる。
そして考え方や行動を変えていく覚悟をする必要があるのだと思う。

「イラン戦争」という単語が聞こえ始めた。私があったイラン人たちが、戦火でさらなる絶望を味わうことになるのならば、私はそれを容認しない。

ABOUT ME
ささ
25歳。 副業で家庭教師をやっているので教材代わりのまとめや、世界50か国以上旅をしてきて感じたこと・伝えるべきだと思ったこと、ただの持論(空論)、本や映画や音楽の感想記録、自作の詩や小説の公開など。 言葉は無力で強力であることを常に痛感し、それでも言葉を吐いて生きている。 ときどき記事を読んでTwitterから連絡をくれる方がいることをとても嬉しく思っています。何かあればお気軽に。