僕の中学生活はマンガに彩られていた。
僕の高校生活は音楽に浸りっぱなしだった。
そして僕の大学生活は、映画によって動いていたといっても過言ではない。
当時はまだようやくネトフリが海外で一般化してきたくらいなもので、Prime Videoのラインナップもほどほど。
日本ではWoWoWとはU-NextとかHuluはすでに存在感あったけど、今のように誰もが契約しているようなものではなく、YouTubeでさえ友達同士の話題になるようなものではなかった。要は2014年あたりのこと。
そう、まだまだ主役はTSUTAYA様だった。
出かけては寄りーの、借りては観ーの。
あの高く並び揃えられたDVDの壁。それを縫うように走る細い廊下をうろつく時間の多幸感といったらなかった。
凝り症の僕はまず、古今東西の名作を観る。知る人ぞ知る的な隠れた秀作を観る。そして一般的なシネコンでもてはやされる流行の作品を観る。選り好みせず観まくって、頭の中に映画の地図のようなものを構築していった。
名優や監督、ジャンル、主要国の代表作や時代感が徐々に頭に入ってきて、どんな作品の話になってもどこか知識的な取っ掛かりを持てる感じになってくる。
そしてその頃にだいたい僕の関心の矛先が映る。何にハマるにしてもこれにかかるのがだいたい3-4年である。
よって中学(マンガ)、高校(音楽)、大学(映画)と人生のタームごとに、オタクは変化した。
というわけで5年間あった僕の大学生活の後半は、ほとんどを海外旅行と学問に費やされたわけだから、実質映画三昧幸せ生活を送っていたので2-3年くらいか。
その間だけで観た映画はたしか600本くらい。一応記録を付けていた。漏れがあるかもだが。
そのときに点数も一応0.5刻みの10点満点でつけるようにしていた。
せっかくなので9点以上を取った大好きな映画たちをまとめていきたい。
ちなみに僕は採点が甘い人なので、5点以下をつけることはまずない。これは製作陣への敬意である。
そして普通に楽しかった時点で7点、迷わず人に勧めたいのが8点、9点は殿堂入りです。
(まあ、7点台でも超語りたい映画はたくさんある。)
いつも前置きが長くてごめんなさい。ではいきましょう。
Contents
「瞬間の5」について
といいつつ、本題に入る前に「瞬間の5」という概念を説明せねばなるまい。
僕の普段の採点システムは10点満点なのでそもそも前提が破綻しているのだが、世の中ではAmazonしかり、App Storeしかり、食べログしかり、5点満点採点が幅を利かせている。
よって5点が満点という前提を立て直して「瞬間の5」という造語を作っている。
要するに、観終わった直後の感想で「ああもうこれは満点だ!!!」となる作品のうち、しばらく時間が経って熱が冷めたときに再考すると「あれ、素晴らしいかったのは間違いないが、満点ではないな?演出と迫力でやられたけど、他の満点勢と並べると、違和感あるね?」となるヤツらがいるでしょう。
それを「瞬間の5」と呼んでいるのです。
ただ以下の9点以上、殿堂入りリストは、僕が映画終了直後に付けた点数でそのまま、機械的に9点以上を持ってきたものだ。だから「瞬間の5」タイプの映画も含まれている。一応明らかに「瞬間の5」のものは明記するのでそのへんにご留意くださいませ。
正直全部みたのが5年以上前なのであまり覚えてないんだぜ。殿堂入りなのにね。
9点以上:殿堂入り
『イントゥ・ザ・ワイルド』
「人生で観た最高の映画を選べ」
これは愚問だ。選べるはずがない。
ただこれはそもそも真に受けて答えるべき質問ではなさそうだ。形式的な、便宜的な、社交的な、スキームの上で儀式的に執り行われる質問の一種と考えるべきか。
「世界一周した」と言うとよく「どこか1番良かった?」と聞かれる。これも同じ。本当にイチバンが気になっているわけではなく、突っつきやすい話題を出した僕への礼儀として聞いてくれているだけだ。
ならばこちらも儀式に則り、何か答えなければならない。とはいえ、テキトーに答えるのもよろしくない。
そんなわけで儀式的な質問には、取ってつけた理由や限定的に条件に支えられるモノであっても良いので、本気で「これ」という答えを準備しておくが吉。
「人生で観た最高の映画を選べ」
この愚問に対する僕の答えはこの映画だ。
ショーン・ペン監督の『イントゥ・ザ・ワイルド』
上に世界一周の話題を出したのは、僕を世界一周に駆り立てたのが他でもないこの映画だからだ。
資本主義の価値観に覆い隠された生命の本質。見ないふりをして幻想の中で「成功」していくだけの人生に違和感を覚えたクリストファー・マッカンドレス。
彼はすべてを投げ捨て荒野へ向かう。
志望校に落ちて不貞腐れた気分を抱えたまま、特に何もせず大学1年生を過ごしていた僕は、この主人公に強烈な共感と憧れを覚えた。
布団にうつ伏せに寝転がって、顎を枕に乗せて、小さなパソコンでこの映画を観ていた僕に、この映画はマジでブッ刺さった。
あの休日の午後の景色は鮮明に覚えている。
1年間の停滞から僕の人生が再び動き出したあの午後。
「あれ、僕も旅に出てしまおうか?」
気づけばバイトと節約と学業を極め、資金、情報、成績優秀者の称号も軒並み提出した僕は、1年後、家族や友人みんなに応援されて旅立つことになる。この独りよがりなわがままを応援されて。
当時の僕は世界一周したくらいで価値観が変わってしまうようなくだらない人間だったわけだが、そして今から思えばそうして刷新された価値観もずいぶん陳腐で視野の狭いものに過ぎなかったわけだが、それでもその変化は僕の人生に必要な過程だったことは確信している。
この映画との出会いは、文字通りに人生を変えた。いや、人生を変えたのは僕自身か。そう言った方がマッカンドレスへの恩としては正しい在り方だろう。
映画は衝撃的な着地をして終劇となるが、実はこの映画、実話を基に作られている。
ジャーナリストのジョン・クラカワー『荒野へ』に記録されたマッカンドレスの足跡が映像化された。
僕は世界中を旅しながらこの本を読み、自分の名を巻末に記した後、スリランカからインドへ飛ぶ機内で別の旅人に贈った。
旅人から旅人へ受け継がれよ、と僕が願ったその本は、いったいいま世界のどこにあるのだろう。
『Mr. インクレディブル』
小さい頃に何故か父親が急にDVDを買ってきて以来、姉と一緒に何度観たかわからない。
キャラもアクションも笑いも家族愛も100点なのに不思議とピクサーのなかでは地味らしい。
高校の親友がこの映画を愛する同志であり、男子高校生らしい馬鹿な会話の中にこの映画のセリフを混ぜ込むのがヤツとのお約束だった。
観るなら是非日本語吹き替え版でご覧いただきたい。
皆素晴らしいが、特にシンドロームとエドナ・モードの吹き替えが秀逸だ。
あとついでに「有罪だぁ有罪だぁ」の先生とボブのおチビ上司の吹き替えも楽しすぎる。
『インクレディブル・ファミリー』
15年の時を超えて、待ちに待った続編。
(ちなみに劇中でスーパーヒーローがヒーローとして活動することが犯罪となり、スーパーヒーローがいなくなってから経過した時間も、奇しくも15年である…!!)
前作の最後にとびっきりのポテンシャルを見せたジャックジャック。これは続編あるだろう!と思ったのに全然なくて・・・忘れたころにようやく来た!
その間にDVD特典のショートアニメーション『ジャックジャック・アタック』を繰りかえし観たわ観たわ。(シンドロームの件のときに、パー家でベビーシッターを頼まれたヴァイオレットの友達カーリが能力に覚醒したジャックジャックにヒドイ目にあわされますが、そのシーンをがっつり描いたもの。)
この続編でついにジャックジャックの本領発揮か!?と期待していたらイラスティガールのチェイスシーンに度肝を抜かれました。かっこよすぎた~!
他のスーパーヒーローもたくさん出てきて、期待を裏切らない続編でした。
『自殺者1万人を救う戦い』
この記事の性質上、楽しい映画と深刻な映画が混ざってしまうので、落差が激しくて申し訳ない。
アイルランド出身のEU代表部の職員の方が休日にこつこつと作成したドキュメンタリーだそうです。
これは映画に含まれるのかわからないが、間違いなく最も心を揺さぶられた映像作品のひとつではある。
上記はYouTubeにあるトレイラーだが、同じくYouTubeで全編視聴できるので、元気な時に観てほしい。
当ブログの人気記事?のひとつにも自殺に関する記事があり、そこに記載している内容により僕にとって自殺は他人事ではなくなった。
しかしこの映画を観たのはその出来事が起こるよりも前のことだ。つまりこの映画は自殺に興味も関わりもない人間にも届く力を持っているということになる。
自殺未遂経験者や自死遺族など、当事者意識がある層にこういう内容が響くのはある意味当然だが、本当に問題を改善するには、それ以外の一般層を動かすことが必要だ。そしてこの映画にはその力はあると僕は信じる。
以下に本編と監督のインタビュー記事へのリンクを貼っておくので是非目を通してほしい。
『あの頃、君を追いかけた』
台湾の青春映画。
恋愛が中心だが、これは「青春」という概念そのものだと思う。
思い出すだけで、ああ、胸がうぎゃあああああああとなる。
何人か友人に勧めたが全員もれなく無事に死亡していた。うぎゃあああとなりたいときに是非。
ちょっともう言葉にできないくらい良いんだよ。ヒロインが魅力的すぎるよな、と思ったら、主人公も取り巻きの男子のノリも愛すべきアレなんですよ。
『インサイドヘッド』
人生で最高の映画は何か、というのは愚問だが、「人生で一番泣いた映画は?」という質問には客観的に指針があるので答えは決まりやすいと思う。
僕の場合は間違いなくこの映画。
劇場にひとりで観に行って、開始10分ほどから泣き出し、結局終劇までほとんど泣いていた。
それから数年後、スペインに滞在した時にバスの長距離移動があり、その中で再度視聴したのだが、そのときにもほとんど同じ状態になった。スペイン語吹き替え字幕なしで観たのに、である。(買い物や道を聞く程度のスペイン語能力しか僕にはない)
隣に座っていたスペイン人のおば様は、きっと引いていたと思う。
この映画は、タイトルの通り、頭の中の感情や記憶が主題。
脳内をあの水準で映像化した自体が半端ないことなのだが、喜び・悲しみ・怒り・苛立ち・不安をリプレゼントしたキャラクターたちのデザインもすさまじく良い。
僕がこの映画で泣いたのは、自分の人生において、自分の感情を全肯定されたような気がしたからだ。
悲しみ・怒り・苛立ち・不安は、ネガディブな感情である。あまり好ましいものではない。
とりわけ怒りや苛立ちは、そういう感情をもった自分に対する自己嫌悪を後から抱かせる類の感情だ。
しかし、この映画では、これらのネガディブ感情を含め、すべての感情が主人公の女の子を守るために必死になって動いている。
どんなに嫌な感情でも「自分の感情たちはいつだって自分の味方だったんだ」と思ったら涙が止まらなくなった。どんなに嫌な感情でも一生懸命生きていたんだと思えた。
この映画では悲しみが主人公の女の子を覆い、心が止まっていってしまうシーンがある。(書いてて鳥肌がブワッと立ってる・・・ホントに凄い映画・・・)
しかし。
それでも。
この映画では悲しみという感情は否定されない。
僕の人生にも悲しみはあったが、思い出してみるとその中には、喜びの記憶以上に大切なものがある。
さらにこの作品で心を打つのは、5人の感情のうち、4人(悲しみ・怒り・苛立ち・不安)はネガディブ感情であるにも関わらず、常にリーダーシップをとっているのが唯一のポジティブ感情である喜びという点だ。
嫌な感情のほうが多いのに、それでも数少ない好感情で人生を進めていく。そういう人間の強さを思うとさらに泣ける。
本当に大好きな映画だ。
『WALL・E』
ピクサーが続きます。
人類文明の発達とともに環境破壊が進み、人類が居住できない土地になった地球。
人類たちは地球が再生するまで宇宙船に乗って何十年何百年と宇宙を漂って生きています。
そして破壊された地球に残されたごみ処理ロボットが主人公のウォーリー。
キュートなロボットアニメとして観るも良しだが、政治的なメッセージが無視できないほど痛烈である。
環境破壊を引き起こしているのは資本主義に基づいた大量生産大量消費というライフスタイル。
大量生産するうえで利益効率を最大化するために取られるのがStandardization(標準化)だ。
つまり同じものが同じように大量に作られる。そして生産されたものを消費させるには、すべての人間が同じものを欲するように、彼らの欲求をコントロールする必要がある。その手段は現代なら広告だ。
人間は同じものを同じように消費する生き物として均質化していく。(地域の民族ごとに存在した祭祀よりも新しいハリウッド映画に熱狂する僕たちを見よ。土着の民芸品よりも最新のiPhoneを尊ぶ僕たちを見よ。とはいえ、それらが世界に及ぼしている良い影響もあまりに大きいのだが。)
宇宙船の人間たちのシーンを観るときに注目してほしい。標準化・均質化の魔の手が人間そのものにも及んだディストピアが、極めてのんきな調子で描かれる。
同じ乗り物のうえで受け身に食事や娯楽を楽しみ、同じ体型に無個性化した人間たち。この映画を観たときには本当に衝撃を受けた。
一方で、ウォーリーはイヴという別のロボットに恋をする。イヴももちろん大量生産されたロボットなので同じ型のイヴが大量に存在する。
しかし、ウォーリーは迷わない。迷わず自分が愛するイヴを峻別し、彼女だけを追いかける。
果たして、人間とロボット、この映画においてどちらがより「人間的」だろうか。
ちなみに宇宙がらみのSF映画らしく『2001年宇宙の旅』のオマージュなども盛り込まれている。
『セッション』
ドラマーの青年とその鬼コーチがバチバチするスポ根的な映画。
とにかく熱い映画。最後のセッションのシーンは何度も何度も観返しているが、何度でもドキドキする。双方熱演。
初めて観たのは大学で授業の間に長い空きコマがあったときだった。
そのあとに受けた授業では、映画のあまりの衝撃に頭がフワフワして、授業の内容はな~んにも頭に入ってこなかった。もう全く聴いてなかった。それくらい熱狂的な映画だ。
原題であり、作中の曲名でもある『Whiplash』は鞭打ちの意味だが、まさにこの映画を体現するバッチリのタイトル。鞭で打たれたように覚醒させられて、鑑賞後しばらくは謎の高揚感が続くだろう。
速攻でサウンドトラックも借りに行ったが、最寄りのレンタル店には置いてなかった。
ファッキン店舗!!
『バタフライ・エフェクト』
おっと、こいつは、「瞬間の5」疑惑ありだ。
いや、今から思い出してもスーパー面白かった気がするのだが、たぶんこの手のタイムリープ物は同じようなのが大量に焼き直されているので見慣れてきているだけかもしれない。
ただタイムリープ・タイムスリップものの話になると必ずと言っていいほど挙がるタイトルだけに、割とパイオニアよりの位置づけなのかも?
アニメの『Steins; Gate』は数年ぶりに2周目を観てもすこぶる楽しめたので、こちらも観返してみようかしら。
ただ評論家筋をはじめとして玄人からの評価が芳しくない様子なのよね。
エンディングのOasisの曲は素晴らしいのよ。
『セブン』
サスペンスが入ってきました。
暗い絵作りでおなじみの人気監督ディヴィッド・フィンチャーの傑作『SE7EN』。
7つの大罪をなぞった連続猟奇殺人事件に若手と引退直前の2人の刑事がペアで挑みます。このキャスティングがブラッド・ピットとモーガン・フリーマン。強いなあ。
まずオープニング映像があまりにかっこよいのよ。
7つの大罪で厨二心はくすぐられるし、最後の衝撃展開と犯人役(あえて誰とは言わんよ。)の狂演、考えさせられる幕引きのセリフ。文句なしに面白いです。
『セブン』を語っていると、今回のリストには入らなかったけど『ユージュアル・サスペクツ』も語りたくなるんだよなあ。何故かは言わないけど。両方観ればわかることだし。
『グッド・ウィル・ハンティング』
「良い映画」といって真っ先に思いつく映画はこの『グッド・ウィル・ハンティング』で間違いない。ヒューマンドラマの最高峰でしょう。
作中でも親友同士を演じているマッド・デイモンとベン・アフレックが共同で脚本を執筆したとか。
その脇を固めるもうひとりのメインキャラクターが名優ロビン・ウィリアムズ。
数学の天才だが素行が悪い青年と、妻を亡くして失意の心理学者。傷を追った2人の心の交流が描かれる。
人を選ばず、誰にでも勧めたい作品。
エンディングではエリオット・スミスの「MISS MISERY」が流れるのだが、これも非常に映画とマッチした。名曲。
鑑賞後にはエリオット・スミスを聴きながら余韻に浸るが吉。
『ONCE ダブリンの街角で』
こちらの映画、私、聖地巡礼済みでございます。
アイルランドはダブリンの街角まで行ってまいりました。
音楽映画なのでサントラが最強です。絶対に聴く必要があります。
監督はこの後も『はじまりのうた』『シングストリート』と音楽映画でヒットを飛ばすジョン・カーニー。
作中曲はすべて、映画前からともに音楽活動をしていた2人が作ったそうです。たしかアカデミー賞もとってた。本当に良い曲揃いですもん。。。ギター弾くようになって直ぐに練習しましたし。
いちおう話の筋はラブストーリーです。
掃除機引っ張りながら街を歩くのは名(迷?)シーンでしょ。
『天空の城ラピュタ』
もはや説明不要か。
ぜんぶ良いのだけど、特にラピュタに入るシーン。目が離せなくなりました。
かまいたちの漫才のネタで「トトロ観たことないのが自慢」という抱腹絶倒の傑作があるけれど、僕はラピュタを24歳まで観たことがなかった。
けど大人になってからの感性で初対面できた良かったと思ったな。
『風と共に去りぬ』
古典小説を原作とする古くて長い映画だからって倦厭されないよう!
傑作は傑作なのです。
南北戦争時代のアメリカを舞台とした恋愛映画なのか戦争映画なのか悲劇なのかなんなのか。。。人生活劇といおうか。
とにかく強い力を持った作品です。
奴隷制を基にした農業生産を主とする南部アメリカの上流貴族スカーレット・オハラは、南北戦争によって貴族社会が崩壊するとともに転落します。オハラは基本的にかなり好ましくない性格をしているので、ちょっとスカーッとします。しかしそれにも増して何故か魅力的なキャラクターなんだよ、スカーレット・オハラは。
愛憎劇や旅などもろもろあって全てを失ったスカーレットから飛び出すのがかの有名なあのセリフ。
Tomorrow is another day. 「明日は明日の風が吹く」
これは名訳でしょうね。。。
The old day (when the society of aristcrats enjoyed its prosperity) has gone with the wind (,which is the Civil War).
というのがタイトルが意味するところだと思うので、明日は明日の風が吹くというのは「また明日には新しい出来事が私たちを巻き込んでいくだろうし、それが良いことか悪いことかはわからない。だからせめて今はそこに希望を見出そう。」という、スカーレットらしい意を美しく汲んだ訳だと思います。
『もののけ姫』
こちらも説明不要ですね?
どう考えても傑作でしょう。一部に「カヤにイケメンかましておいて何サンとイチャイチャしているんだ」という手厳しい声も聞こえるようですが。
ナウシカもそうですが、「人間」と「自然」の対立構造があり、その間を取り持つ存在として主人公たちを描くというのがジブリの必殺パターンのひとつですよね。
思えばナウシカやもののけ姫ほど辛口ではないですが、トトロやポニョにも似たようなところがある。
このような作品群を原語である日本語観ることができる。さらに多くのジブリの舞台になっている日本という土地は自分が生きてきた土地でもある。
なんて幸福なことでしょう。
『時をかける少女』
良すぎて観れない作品。
圧倒的青春力というか、刹那感というか。観ると反動で丸1日くらい力抜けるのでもはや観たくないのよ。それくらい良い。
細田守監督のアニメって良い意味で絵から声で浮いてるんですよね。。。
そのせいで生まれる絶妙な乾き具合というか、それにヤラレルノデス。
原作積んでるので読んでみよお。筒井康隆さんの作品は映画だと『パプリカ』、小説だと『旅のラゴス』どちらもわりと僕にはハマっている。
ウンチクだけど、マコトとチアキははじめ名前が反対だったらしいよ。
『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』
国民の皆様の声で最高のアニメ映画ランキングを作ったら安定してTOP10には入るでしょうこれは。
それこそ『カリオストロの城』とか『千と千尋の神隠し』とかと並べて語られるレベルだと個人的には思うのですが、これはしんちゃんファンの僕の贔屓目なのでしょうか?
『暗黒タマタマ』も『カスカベボーイズ』も『ヘンダーランド』も大大大好きだが、しんちゃん映画でひとつだけ選べと言われればどうしても『オトナ帝国』になってしまう。
「懐かしいってそんなにいいものなのかなあ」という風間君の深い問い。
「ネギ」というみさえの怖さ。
「ぶっとばすぜベイベー」でMVPを獲得するまさおくんのカーチェイス。
3分以上の絵だけで語られ、全大人を泣かせたひろしの人生。
「おねいさんみたいな綺麗な人とたくさんお付き合いしたいから」で敵を止めるしんちゃん(泣)
などなどなどなど、名シーンのオンパレードだ。
特にひろしとしんちゃんのはテレビアニメでこすりまくって国民に浸透していた「ひろしの足クサ」ネタと「しんちゃんのおねいさん好き」ネタ。この10年のフリを使って感動に持っていくのはもはやズルだよね。泣くよね。
彼らのくだらなくも愛おしい日常を知っているからこそ。これはテレビアニメの劇場版の強みですよね。
これは死んでも観ないといけない映画だよ。。。
『地獄の黙示録』
コンラッドの小説『闇の奥』を下地に、舞台をベトナム戦争に置き換えてフランシス・フォード・コッポラ監督が映画化したのがこちら『地獄の黙示録』。
原題は『Apocalypse Now』。
Apocalypseは日本語で「黙示」で黙示文学的なものはユダヤ・キリスト教史のなかではいろいろあるらしいが、一般的には新約聖書の最後にある『ヨハネ黙示録』を指すことが多い。
ヨハネ黙示録と言えば、新約聖書中では唯一予言的な内容を含み(預言じゃないよ)、それには善悪諸勢力による最終戦争ハルマゲドンの言及も含まれる。
果たしてどのような意図をもってこの映画は名付けられたのだろうか。。。
内容は、ベトナム戦争で疲弊しながら、兵士たちがベトナムの奥地までのカーツ大佐なる人物を暗殺しに行くというもの。
僕が観たのは特別完全版だったので3時間以上の対策だった。これを僕はなぜか深夜1時過ぎから観はじめ、作中に登場人物が麻薬に溺れるせいなのか、僕が一人で深夜のテンションになっているときにコッポラ監督の重厚な演出にあてられたのか、不思議な恍惚感でこの映画に没入してしまった。
かの有名なナパーム弾のシーンもあるし、その前のワーグナー『ワルキューレの騎行』が鳴り響くシーンもこれぞという感じである。
世間的には『ゴッドファーザー』シリーズなのだろうが、僕の好みでは、コッポラ監督なら『地獄の黙示録』を推したいところ。
『プライベート・ライアン』
みんな大好きスピルバーグ監督の戦争映画。
原題は『Saving Private Ryan』で「ライアン二等兵救出」。
文字通りのシナリオで、第二次世界大戦中、従軍した息子のうち、ライアン二等兵以外のすべてを亡くした両親のため、ライアンを救うべく特別部隊が編成される。
タイトルになっている人物と主人公が別のパターンは、『ファインディング・ニモ』(ニモ探し)と同じ。
ひとりの命を救うために何人もの命が捨てられる。
この不条理の中で、トム・ハンクス演じるミラー大尉の名言が語る「誇り」。
きっかけは中学生のころ通っていた塾で先生が雑談中におすすめしてくれたこと。(グロい映画とかいうふざけた内容の会話でしたが・・・)
それから数年おきにかれこれ3,4回観たはず。
語り草になっている最初のノルマンディー上陸作戦のシーンだけでもかなりの見ごたえがある。
『ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日』
個人的にはあまりに過小評価されていると感じる傑作『ライフ・オブ・パイ』
劇場公開当時は圧倒的な映像美がもてはやされたと記憶していますが、さらにすごいのは物語の構造。
そしてその構造が解き明かす人間の防衛本能。
この映画、ただ映像が綺麗なのではなく、シナリオの性質上、映像が綺麗である「必要があった」とさえ言える。
完全に説明されるわけではないが、物語後半でその構造を垣間見せてくれるシーンがあり、聴衆は「え!?待って、もしかして・・・?」となる。その時を待ち、集中して観るべし観るべし。
かなり凝った作品になっているので、視聴後は各考察サイトなどを巡回することをお勧めする。
ただのサバイバル映画ではないことがわかるはず。
『ヒックとドラゴン』
ジブリやディズニーと比べると興行的なプッシュが少ないような気がするドリームワークスの映画。
『シュレック』や『マダガスカル』のほうが目立つ気がするが、『ヒックとドラゴン』が最高傑作という意見に異存は少ないのではないかと思う。
落ちこぼれ主人公が、害獣であるはずのドラゴンとの共存可能性を見出す。ジャンプ漫画のような王道展開。
英語だとpestとpetが掛かっている。
映像ももの凄くキレイです。
『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』
余命僅かの若者2人が、病院を抜け出し海を見に行く物語。
この1行で傑作感がすごいですね。
鑑賞直後に書いたメモが見つかったんだが「鑑賞後の爽快感が今までの映画でイチバンだった」と書いている。
人生の最後の数日にすべてを投げうって海を見に行くいう「刹那感」にやられたのだと思います。
観返したい映画はたくさんあるけど、これがイチバンかなあ。
演出もおしゃれなところが多かった気がする。ちなみにドイツの映画。
『ダンス・ウィズ・ウルブス』
この映画がアカデミー作品賞を受賞したことについて不服を述べる記事に出会ったことがあるのだけど、とんでもない。このような映画こそが高名な賞に相応しいと心から思う。
西部開拓時代のアメリカ、東海岸からアメリカに入ったアングロサクソン人が西に向かって開拓を進める過程で、土着の人々=ネイティブ・アメリカン(インディアン)が殲滅されていく。
アメリカはよく正義を騙るが、国として行ってきたことは極めて残虐だ。アメリカ式の正義は「勝者の正義」で、それは敗者を黙らせることで正当化されているように思える。
WW2でアメリカは日本の各都市を無差別爆撃し核兵器まで使ったのに、アメリカ本土を全く攻撃していない日本が戦争犯罪国とは?と、「やらかしたことベース」で考えれば普通にそう思えてくる。まあ、日本が他国でやらかしことも大概なのだけど。
しかし、アメリカという国がすごいのは、そんな面の皮が厚いアメリカを糾弾する声が必ずアメリカ国内から挙がってくることだと思う。
この映画も、同じ。アメリカから生まれた、西部開拓時代のアメリカに対する痛烈な批判。
それを物語の「視点」を操ることで、政治的主張が持つ野暮ったさ(僕が上に書いたような文章が野暮ったさの好例である)をスマートに取り除いてみせた。
白人の主人公は、フロンティア(西部開拓の最前線)で生活する中で徐々にインディアンの部族と交流を持つようになる。
物語の前半ではそれまでの西部劇と同様にインディアンが蛮族のように描かれ、主人公にとっても警戒すべき対象だった。
しかし交流が進むにつれてそのようなステレオタイプは影をひそめ、インディアンたちの普通の生活に焦点が当たる。
そして後半。インディアンの服装をしてインディアン名をいただくまでになった主人公は、白人に襲撃されることになる。
このときの白人はまるで蛮族であり、映画前半で描かれた蛮族としてのインディアンと瓜二つであった。
インディアン目線からの白人批判を行った映画が、評価され興行的にも成功するというところが、アメリカという国の良心なのだなあと思う。大日本帝国が行ったアジア他国への侵略行為を、彼ら視点で批判的に描く邦画が製作されたとき、果たしてそれは売れるのだろうか?
インディアン側から言わせればまだまだ本当のインディアンとは似ても似つかないものを描いているとの声もあるようだ。よって本作をインディアンに関する資料として観てはならないだろう。
しかしそれでも、物事を観る「アングル」がいかに事実の見え方を変えるのか。
それを大胆にも「白人=善、インディアン=悪」の紋切り型を破ることで示したこの映画については、功罪の功に軍配が上がると思う。
『マッドマックス 怒りのデスロード』
最初から最後まで、ずっと大暴走、最狂のアクション映画。
映画館で観たのだが、音響も映像も世界観をすべてぶっとぶような大迫力だった。
それが開幕から終幕まで休むことなく続く。
『マッドマックス』シリーズは昔の3部作もすべて観ているが、やはり2のクライマックスのカーチェイスがとにかく面白かった。
『怒りのデスロード』は「じゃあその面白いシーンずっとやろうぜ」というふざけた思いつきからやりたいことを全部乗せしたのでは?と勘繰りたくなるような、よくばりセット感。
続編の製作も決定しているとのことで、ずいぶん前から首を長くして待っているが、最近続報はあるのでしょうか。気づけば6年も経ってる・・・。
ジョージ・ミラー監督も結構お年なので、元気なうちに制作してほしいなあ。絶対に劇場に観に行くぞ。
『ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン!』
いちばん笑ったコメディ映画は?と聞かれたらこれだと思う!
何人か友達にも勧めて観てもらっているがいつもすこぶる好評だ。
警官2人のデコボココンビがドタバタするという、基本的にはおバカ映画。
主演のサイモン・ペッグとニック・フロストのコンビは『ショーン・オブ・ザ・デッド』『宇宙人ポール』という別のコメディ映画でも観られる。全部面白いのでお勧め。
『ニュー・シネマ・パラダイス』
イタリアから押しも押されぬ名画。
映画を愛でる映画ということで映画好きにはぶっ刺さって当たり前かもしれない。
今では映画館はマナーマナーでガチガチに縛られた空間になってしまった。トラブルを避けたり、作品と向き合ったり、より良い視聴体験のためにはそのほうが良いとは思う。
しかし、この作品で描かれるような、映画があるからみんなが集まり、ああだこうだと言いながら、目を輝かせて映画を観るこの感じ。なんともいえない温かさ。
人々を繋ぐという、かつて映画が持っていた役割を思い出すと、こういうのも本当に素敵だと思う。
片意地張ってマナーに拘束されて観ているのがバカバカしくなるほどに。
純粋に映画を観るためならそのほうがいいのだろうが、その「時と空間」を楽しむということであれば、別の答えもあるだろう。隣には同じものを同じ時に楽しんでいる仲間がいるのに、みんなダンマリで、一緒に来た人とだけつるんで帰るのって、よく考えたら寂しいよ。
この映画を観ていると、そんな当たり前の大切な感覚を思い出してしまうのだ。
『トガニ 幼き瞳の告発』
今や世界のエンタメ産業で名声を得ている韓国映画だが、結構前から相当に凄い作品があった。
『トガニ』はなかでも社会派中の社会派。実際に韓国で起きた事件。耳が不自由な児童向けの福祉施設で日常的に起きていた児童への性的虐待とその隠ぺいをすっぱ抜いた。
観ていて本当に心が苦しく、胸が痛くなる映画なので、余裕があるときに観てほしい。
しかし、これがきっかけに韓国国内での意識が高まり、事件の再検証が行われ、本作で取り上げられているような性的虐待の厳罰化を含む立法がなされたとか。
これは通称「トガニ法」と呼ばれるらしい。映画が本当に社会を動かした例だ。
ベトナム戦争時にアメリカで歌われた『We Shall Overcome』しかり、芸術作品によって社会が動くというのは本当に尊いことだと思う。
『オールド・ボーイ』
連続して韓国映画。
ある日突然監禁され、そのまま15年。またも突然解放された主人公は、犯人から「5日以内に監禁した理由を突き止めてみろ」と勝負を投げかけられる。
とにかくグロいというか、、、観ているこっちがイタイのでまた観たいかといわれると勇気が要る。
ただとにかく救いなく落ちていく感じがたまらなく、サスペンスとしてもの凄くハラハラした。
そういうことか!?という衝撃展開もあり、耐性がある人には勧めたい。
ハリウッドでリメイクされたはずだが、そちらはあまり奮った様子はなし。ちなみに原作は日本の漫画らしい。
それこそ『パラサイト 半地下の家族』にも含まれる「エグみ」。これが韓国映画お得意の味付けなのかもしれない。まあ同じくらいラブロマンス的なイメージもあるけど。
日本は最近はアニメだけ世界圧勝状態だけど、かつては邦画でも世界をリードしていた時代もあったんだよね。。。黒澤明、小津安二郎、深作欣二、勅使河原宏、溝口健二。。。
絶対に今の日本にも世界に誇るべきクリエイターの方々がたくさんいると僕は信じているのだが、人気アイドルやアーティストなど、「映画のプロフェッショナル」以外の人材を前面に出すことで興行収入を担保する産業構造のせいなのだろうか、あまりうまくいっているようには見えない。
僕たち観客がもっとちゃんと「映画」を観て批評して、良いものを良いというようにならないといけないのかもしれない。
『メリーに首ったけ』
「瞬間の5」疑惑・・・かな?下品な映画なんだけど、腹抱えて笑った。
ノリにのっている頃のキャメロン・ディアスが、ラブコメヒロインが似合いすぎる可愛さなんです。ベン・スティラーは後に『LIFE!』で見せるかっこよさとは別人のようなダサさで(笑)
最高に笑ったコメディ映画というといくつか作品名が頭に浮かぶが、これも間違いなくそのひとつ。
『グランド・イリュージョン』
これは間違いなく「瞬間の5」だな・・・あんまり覚えてないもん。
ただ演出がすごくかっこよくて、エンタメ性が高いので、観た直後は「うわあ!」ってなったんだよ。
ちょっともう一回観返してみようかな。
『アベンジャーズ』
これも「瞬間の5」かもしれない。
マーベル作品に一時的にお熱だった時期があったため。
ただこの映画は世間的にもかなり高評価だし、近年公開されている続編も軒並みハイクオリティらしいので、僕には大したことが言えないだけで十分に傑作なのだと思う。
『デッドプール』あたりから全く追えていないマーベル作品群だが、職場の先輩も好きらしいので話のタネがてらまた追ってみるか?
『シン・シティ』
うーん、。。。このころは採点甘すぎたのかな。
これも「瞬間の5」な気がする。
全面モノトーンで展開され、漫画のような絵作りが終始続いたような記憶。それはかっこよくて印象的だった。
ちょっと観なおしたい。
ただどちらかというと、「こういう映画にハマる感性の人間がかっこいいんだ」みたいな自意識で9点つけてないか?とこのころの自分に問いたい感じだ。
自分の中では再評価の必要があるな。
『独裁者』
はい来た、文句なしの9点。いや、もうこれは9.5点だな。
説明するまでもなくナチスを皮肉った、政治色の強い映画。
ナチス関係では『ヒトラー最後の12日間』『シンドラーのリスト』『戦場のピアニスト』など素晴らしい映画は枚挙にいとまがないが、この映画はそれらとは一線を画する。
驚くなかれ、この映画は公開が1940年である。
これは日本が真珠湾攻撃を行うより前、つまりアメリカが第二次世界大戦に参戦すらしていない時期。その時期にすでに「公開」している。
つまりチャップリンの反ファシズム的な問題意識は1930年代にはこの映画の製作に突き動かすほど高まっていたということ。
もちろん反ファシズムのプロパガンダ的な色もあるのだろう。それが結果として後に明らかになるホロコーストなどを糾弾する「勝者の正義」に見えるのかもしれない。
だが、それでもチャップリンは本質を見ていたのだと確信できるのは、最後の演説のシーンだ。
ヒトラーと瓜二つの主人公が、ヒトラーの代わりに演説をする羽目になるのだが、遠慮がちに始まった言葉は徐々に熱を帯び、高らかに人類愛を謳う。
このスピーチのシーンはそれこそ何十回と観なおした。そして必ず毎回鳥肌が立つ。
『黄金狂時代』『モダン・タイムス』などの無音映画で名声を得ていたチャップリンが初めて公開したトーキー映画『独裁者』。
言葉にするべき言葉があった。つまりこの演説のシーンのために、チャップリンが初のトーキー映画を撮影するにあたって『独裁者』を選んだのだとすれば。これはただのプロパガンダ映画などではないといえる。
『ベイマックス』
近年はポリティカルコレクトネス系の配慮もあってか、アメリカのアニメ映画では、主人公がヒスパニック系、ヒロインが黒人系、プリンセス系以外の映画でも主人公が女の子など、多様性への意識が反映された作品が多いようだ。
ベイマックスもアジア系の男の子が主人公。サンフランシスコとトーキョーを掛けわせた架空の街が舞台。
IT最先端のサンフランシスコと、ロボティクス先進国であり続けていた日本の首都トーキョーを掛け合わせるのは粋だと思うし、ロボットアニメの主人公が日系というのも、相応しい気がする。
なんだかんだで『鉄腕アトム』『ドラえもん』、ソニーの「aibo」など日本にはロボットのイメージが根強いのかもしれない。
あ、全然映画の内容の話してないけど、最後のシーンは映画館でガン泣きしましたよ。
『ジャンゴ 繋がれざる者』
タランティーノ監督で好きな映画といえば『イングロリアス・バスターズ』だと思い込んでいたが、視聴後の得点ではこっちのほうが高かった。
前作(=『イングロリアス・バスターズ』)で怪演を見せたクリストフ・ヴァルツが引き続きキャスティング。
南北戦争前のアメリカで黒人奴隷のジャンゴが農園に買われて妻を救う物語。
『風と共に去りぬ』では奴隷制時代のアメリカが白人視点から描かれたが、こちらは黒人視点から。同じアカデミー賞でもこのように評価される映画が変わってきているというは面白い。
ジャンゴが最後に白い歯を見せて笑うシーンが実に痛快。
タランティーノ監督の映画は常にB級のノリを忘れないのが魅力だと思う。
『JAWS / ジョーズ』
またスピルバーグ監督。
正体不明の暴走トラックドライバーに追われるだけの映画『激突!』で大反響だった演出が、人食いサメをネタして更なる高みへ昇華された。
『ジュラシック・パーク』もそうだが、スピルバーグ監督は本当にドキドキハラハラが上手。
もともと海が怖い僕は、深夜3時くらいから謎にこの映画を観始めて、白む空と共に徐々に明るくなる部屋の中、布団にもぐってこの映画にビクついていた。
『キル・ビル Vol.1』『キル・ビル Vol.2』
タランティーノ監督、また出た。
『プライベート・ライアン』のところで言及した塾の先生とのグロ映画トークで真っ先に話題に挙がったのは『キル・ビル』だった。
まあふざけたグロさなのでトラウマになるような類ではない。
ユマ・サーマンの美しさ(日本語かわいい)、千葉真一の渋さ、そしてタランティーノ監督に発見された栗山千明(監督が大ファンだという『仁義なき戦い』シリーズ深作欣二監督の『バトル・ロワイヤル』に出演した栗山千明をみて一目惚れしたという)。
テッテレッテテッテーの演出、突如開始するアニメパート、やたらと耳について離れない例の口笛。
すべて自由で楽しい血まみれ映画だ。ヤッチマイナァ!
『時計じかけのオレンジ』
キューブリック監督が出た。
『フルメタルジャケット』も『博士の異常な愛情』も好きだが、入ってきたのは『時計じかけのオレンジ』だった。
これ、Tシャツ持ってたんだけど、タイでバックパッカーしてる時に宿で洗濯して干していたらそのまま忘れてきたんだよな。。。
ずっと前衛芸術を見せられているような変な衣装とセットで展開され、悪魔みたいな変な主人公がナッドサットと呼ばれる変な言葉を使う。変な映画だ。
カルト映画的な雰囲気に魅せられて9点だった気がするのだが、これも観なおして再評価したいところ。
『インターステラー』
『メメント』『ダークナイト』『インセプション』など超面白い映画を作りまくっているクリストファー・ノーラン監督から『インターステラー』。
もう出せば大ヒット、聴衆からも評論家からも絶賛の嵐がお約束みたいになってきた中で公開した『インターステラー』も全く期待を裏切らずスーパーなことになっていた。
(最近の『ダンケルク』『TENET』はそこまで奮っていないだが。僕は未視聴。)
ノーラン兄が高次元の映像化の技術を模索している間、ノーラン弟は大学に入って宇宙論の勉強をしていたと聞いた。
どれだけ本気なんだ・・・
宇宙旅行による時間の進行のズレ、これを利用したカタルシスはすでに思いついてやっている人はたくさんいたと思うので、それほど新しいものではなかったはずなのに。
それなのにこの映画は傑作だった。長尺なので・・・と思ったが映画館におとなしく座っていたらあっという間に終わってしまった。
『ゼロ・グラビティ』
『ハリーポッターとアズカバンの囚人』でおなじみのアルフォンソ・キュアロン監督による映画。
宇宙モノが続きましたね。
スペースデブリ(宇宙ゴミ)との接触事故で宇宙空間に投げ出された主人公が生き延びるために頑張るだけの話。
だが、これをIMAX3Dで、さらに課金して映像に連動して動く椅子で観た僕は、これ以上のものはないと断言したくなるような映像体験をした。
家で観ても十分に面白い作品ですが、これを9点レベルに押し上げたのは間違いなくあの劇場であり、この映画は劇場で観ることを想定して作られている。(すべての映画がそうだが、特に!という意味。まあそういう風潮もネトフリ限定映画が台頭している今では変わりつつあるか。)
個人的にはいくらマーケティングのためとはいえこの映画は原題『Gravity』に沿って『グラヴィティ』という邦題にしてほしかったと思う。
これは重力がないこと以上に、重力があることを強く描く作品だと思うから。
最近『プラネテス』のアニメと漫画を1周ずつしたけど、そっちでも宇宙に放り出される恐怖が丁寧に描かれていた。この映画も改めて観たくなった。
『シンドラーのリスト』
またまたまたスピルバーグ監督。
ホロコーストを描いた『シンドラーのリスト』。
オスカー・シンドラーという実業家の実話に基づく。もともとナチス党員だったものの、やがてユダヤ人を強制収容所から救うべく、全財産を投げうってまで自らの工場で雇用するようになる。「命のビザ」で有名な日本の杉原千畝と並んで有名な話だ。
この映画はほぼ全編白黒で公開された。唯一色がついているのは赤いドレスの少女。何も特別じゃない人生の一つが、何の意味もなく消えていく様をを見て、シンドラーはいったい何を感じたのだろうか。とても素晴らしい演出だと思う。
『E.T.』『ジュラシック・パーク』『ジョーズ』などエンターテインメント全快の作品のイメージが強いスピルバーグ監督だが、『A.I.』『シンドラーのリスト』『プライベート・ライアン』『ミュンヘン』などシリアスな映画でも傑作続きなのだから、本当に天才なんだろう。
ちなみにスピルバーグ監督自身もユダヤ系だったはず。
『それでも僕はやってない』
最後の最後で邦画の実写映画がやっときた!
『羅生門』『桐島、部活やめるってよ。』『鍵泥棒のメソッド』『素敵な金縛り』など好きな邦画はたくさんあるが、なかなか9点に乗っていないことに気がついた。
しかしこの痴漢冤罪を基にした映画は9点だ。
あまりに理不尽な権力の圧に観ているこっちが終始ムカムカしてしまった。
最近ネットでは普段はどこに隠しているのか、事件が起きた時に謎の正義感をたぎらせて「許せん!」となっている方を見かける。
言い尽くされていることだが、正義のお墨付きをもらった瞬間に、人間はどこまでも攻撃的に、残虐になることができる。
だから弁護士、黙秘権など、被疑者を守るシステムは必要なんだと思う。長い歴史の中で培われてきた土台のうえにある「法治主義」という仕組みは、民主主義と同じくらい、いやそれ以上に強調されるべき人類の発明なのではないか。
誰も他人を勝手にさばいて「私刑」する権利はない。
ちょっと関係ない話になっているが、そういうことを考えたくなる映画です。
痴漢問題は「男女の対立」軸で考えてしまっていいものなのか。社会的な立場(フリーターや無職だから怪しいなど)による判断が司法に持ち込まれていいのか(そんなことはないのだろうが、裁判員制度などでは「心象」の重要性が増してしまうのでは?という気がする)。
本当に考えることが多い。
9点以下だけど、どうしても載せたいんです。
正直こっちに載せているものも、9点以上とくらべて全く遜色ないのです。
というか、こっちに載ってるやつの方が良いという気さえしている。
『きっと、うまくいく』
インド映画の最高傑作。笑いも涙も全部込み。かつ社会派でもあり、インドらしいミュージカル要素ももちろん入っている。死んでも観ないといけない最強の映画。
『素晴らしき哉、人生!』
フランク・キャプラ監督の名作。ディケンズ『クリスマス・キャロル』を逆さにしたようなお話。「もしも自分がいなかったら」。そんなifを見ることで自分の人生に幸福を見出す温かいお話。
『ライフ・イズ・ビューティフル』
戦争で収容所に入れられた男が、幼い息子のために「これはゲームなんだ」と世界一やさしいウソを突きとおすお話。人生が過酷な顔ばかり見せるとき、それを乗り越えるカギはどのように希望を見出すかである。この映画とそのタイトルを見るとそんな風に思う。ヴィクトール・フランクル『夜と霧』でも同じようなことが書いてあったと思う。
『最強のふたり』
障害を持つ富豪のもとに、不真面目に若者が介護人としてやってくる。最高のバディムービー。
いわゆる「Wise fool」(賢い愚者)のコンセプトを使った映画で、常識のないバカな若者が富豪の男を最も対等な人間として扱う、つまり偉い富豪として変に立てるわけでもなく、障碍者として変に気遣うわけでもなく、ただ普通に扱う。それゆえに富豪は心を開く。
ハンコックがルフィに惚れたのと似たようなものだ。
というよくある話にも関わらずこの映画が大人気なのはやっぱりコンセプトどうこう以前に、作品の質自体が高いということなのだろう。
『ファイト・クラブ』
僕のパジャマはタイラー・ダーデンのTシャツ。
鬱屈とした人生を送る主人公が、理想の自分そのものを体現したような男、タイラーと出会う。彼に誘われて入ったファイトクラブだが、徐々にテロ組織のような様相になっていく。最終場面での衝撃展開は忘れられない。『SE7EN』と同じディヴィッド・フィンチャー監督。
『かぐや姫の物語』
高畑勲監督の遺作となった。興行的には爆死らしいが、そんなことは関係ない。産業としてそれがいかに悪だろうと、これだけ素晴らしい芸術表現を世界に残していくことには何にも変えられない価値があると思う。
永遠に観ていられる、この美しい映画は。
素晴らしいこと以外のすべてを度返しにした芸術作品がある世界のほうが、僕は好きだよ。
『ズートピア』
主人公は女性の草食動物、権力に立つ悪役も女性の草食動物。
動物アニメにすることでうまく中和させているが、この映画はアファーマティブ・アクションを念頭に置いて作られたメッセージ性を隠し持つ映画だと思う。もとより肉食動物と草食動物という生まれ待って変えられない性質が対立軸の中心に置かれている点で社会派な映画ではある。
アメリカでは女性や黒人、LGBTQ+などこれまで抑圧されてきた人々の権利に目が向くにしたがって、逆に白人で男性でプロテスタントでストレートの人々が「抑圧してきた人たち」というレッテルを張られ、逆に「抑圧される」側に転じるという現象が起きつつある。
よって、抑圧の解消が別の抑圧を生まないようなバランス感覚が、民衆には求められている。
この『ズートピア』という映画は、そのバランス感覚を失うとどうなってしまうのかを描き、警鐘を鳴らしている。
抑圧されてきた草食動物が地位を獲得し、逆に肉食動物を抑圧してしまう。
子どもが楽しい、夢のある映画という質を全く損なうことなく、このような伝えるべきメッセージが伝わるようになっている点は、本当に天晴れディズニーだ。
『カッコーの巣の上で』
精神障害の患者を収容する病院で実施されるロボトミー手術。術後、患者は精神障害の症状が緩和されるものの、代償に人格や知性を失った。これはある時期には実際に治療の主流として行われていたことらしい。
これは明らかに人道に反するということで、現在では行われていない。
この作品は、そんな人間性を無視した病院の方針に、破天荒な主人公が抗い「人間」であろうとする物語。そもそも主人公自身が犯罪者なのに精神異常者を装い、刑務所から逃れ病院に来た悪人なのだが。。。
「人間」というものの本質に迫る、ヒューマンドラマとしては「グッド・ウィル・ハンティング」と並べて挙げたい作品。
『バンディッツ』
ドイツの音楽映画。刑務所でバンドを組んだ女性4人が脱獄して逃走しながらゲリラライブをぶっかましていくという痛快すぎるストーリー。
そしてバンドとしての人気がどんどん挙がり、もはや世論は「捕まえないでくれよ」となっていくという。。。「刹那感」に弱いんだなあ。やっぱり。同じドイツだからか『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』に通ずるアツさがある。
この映画もとにかく音楽がいい。僕は最寄りのTSUTAYAになかったのでネットで購入してウォークマンに入れて何度も聴いていた。Apple Musicにないんだよなあ。
かっこつけてるだけなんだけど、それでかっこいい映画。
『ドッグヴィル』
どんな言葉の足りぬほど、心から、心から、素晴らしいと思う映画だ。
監督はデンマーク出身『ダンサー・イン・ザ・ダーク』で有名なラース・フォン・トリアー。
人間の本性は汚くておぞましい。それを綺麗な壁で覆ってなんとか秩序の中で仲良く生きているのが僕たちだ。
そんな壁をすべて取っ払ってしまうのがこの映画。実施に映画内のセットで壁が取っ払われているのはもちろんそれを示すための暗喩だろう。
普段僕たちがそこにあるというフリをして観ている壁が、もしなかったら?こんなもんでしょう、僕たちは。監督のそんな声が聴こえる。
戦争という枠組みが許しさえすれば人殺しさえ出来てしまうのが人間だ。ラース・フォン・トリアー監督が示すように言葉や観念が示す上っ面の道徳ではなく、人間そのものと向き合うということも、きっと必要なんだ。
ただの暗い鬱映画で終わってほしくない。芸術的な映画だと思う。
『ナイトクローラー』
メディアとは何かを考えさせられる。ネット記事だってヘッドラインから想像されるものに全く及ばない矮小な内容のものが多い。
良いネタを仕入れるためにどんどん狂気に走っていくスクープハンターのお話。そういう風に仕入れられたネタを嬉々として見てしまう僕たちが悪いのだろうね。文春も売れるからやってしまうんだろう。
『ブロークバック・マウンテン』『ドニー・ダーコ』のジェイク・ギレンホールが怪演する主人公が見どころ。
『ビフォア・サンライズ』
これ以上に理想的な恋愛のはじまりを僕は知らない。
電車でたまたま出会った男女がオーストリア、ウィーンの街で降りて、そのまま朝まで歩きながら話すだけの物語。全編通して流れるふたりの会話は、それはそれは知性とユーモアにあふれていて憧れまくる。
続編も2つあるので全部観るべきだけど、やっぱりこの1作目のロマンチシズムが至高である。
『マン・オン・ワイヤー』
フィリップ・プティという綱渡りの大道芸人のドキュメンタリー。ニューヨークはワールドトレードセンターツインタワーのてっぺんにて無許可、命綱無しで綱渡りをした男の実話。一歩間違えれば確実に死。間違えなくても強風が吹けば死。上空500m以上。どうかしている。
しかしこの映画は名言製造機。とにかくシビれたのは「どう考えても不可能に思えた。じゃあやろう。」かっこいいにもほどがある。
『ザ・ウォーク』というタイトルで映画化もしているが、こっちのドキュメンタリーのほうが圧倒的にお勧め。
『マルホランド・ドライブ』
これほど「すべてに意味がある」と思わされた映画はない。が、複雑だったのでもう一度見て、さらに考察サイトを巡回するまでは何も語れる気がしない。
これでディヴィッド・リンチ監督にハマったんだよなあ。
『天国の口、終りの楽園』
再び『ゼロ・グラヴィティ』のアルフォンソ・キュアロン監督。メキシコ時代の映画。
僕はロードムービーが好きなんだと思う。性欲を持て余した青年ふたりが夫に不倫された自棄なったオトナの女性と「天国の口」と呼ばれるビーチに向かう。
性をテーマにしたエロエロ映画(一般映画の範囲ね)なんですが、楽天的なメキシコの田舎の雰囲気と、場面カット直前に数秒の沈黙が入る演出による乾いた雰囲気がかなり気に入った。
原題は『Y tu mama, tambien』で「あとお前のママも。」の意。作中で出てくる「お前のママともヤッたぞ」という冗談(?いや、冗談であれ。)から。邦題のほうがいいね(笑)
『パリ、テキサス』
これもロードムービー。米テキサス州には「パリ」という小さな町があるらしい。
放浪してた男が妻と再会する話なんだが、最後の妻との淡々とした会話(確か20分くらい続く)がとてもよかったことだけ覚えている。観なおす必要がある。
『ラマになった王様』
最初に紹介した『Mr.インクレディブル』と同じくらい、子供のころに何度も観返した作品。
1回見た後にそのまま2回目を楽しく観られる。体感時間は40-50分くらいで終わる最高の映画です。子供と一緒に観たいよ。
『恋はデジャ・ヴ』
グラウンドホッグデーというお祭りの日を無限ループしてしまう男のお話。
おそらくニーチェの永遠回帰を念頭に置いて作られているのでは、と思う。
完璧な1日を過ごすまで次の日に行けない。軽いタッチで描かれているお気楽めな映画だがテーマをじっくり考えるとなかなか深い映画。
『チョコレート・ドーナツ』
ゲイカップルが、薬物中毒のシングルマザーにネグレクトされているダウン症の少年を引き取って育てる話。
決して社会問題やマイノリティを詰め込んだだけのお涙頂戴ものではなく、様々な立場で社会という枠にはめられていく人々の様子と、そこから外れてこぼれ落ちていく登場人物たち様子が丁寧に描かれている。
公開当時は界隈でかなり話題になった知る人ぞ知る名作というイメージ。
最後に主人公が歌うボブ・ディランの名曲『I Shall Be Released』があまりに良い。
『エレファント・マン』
またもディヴィッド・リンチ監督。
極度の奇形に生まれたことからエレファントマンと揶揄され見世物小屋に立たされていたジョゼフ・メリックという男の実話に基づく。
彼を奇異な目で見ること、彼に親切にすること、見た目で差別的に扱うこと、差別的に扱わない自分を公言すること。彼を取り巻く「ニンゲン」たちの本音と建前が剥き出しにされる、そんな映画。
これも死んでみないといけない映画だ。
『ピューと吹く!ジャガー~いま、吹きゆきます~』
漫画原作者のうすた京介さんの大ファンなので・・・(笑)
もう原作読み込んでる人しか楽しませる気ないでしょ、というシーンがたくさんあるが、実は真木よう子や板東英二などが出ていて主題歌はフランツフェルディナンドという地味に豪華な布陣。
『ビューティフル・マインド』
ラッセル・クロウが統合失調症に苦しむ学者ジョン・ナッシュの半生を演じる。
ゲーム理論のナッシュ均衡などで有名なナッシュ博士はノーベル経済学賞もとっているが、これほど壮絶な人生を送っているとは。。。
統合失調症の症状を観客に追体験させるような映画。
それにしてもこのラッセル・クロウは、『グラディエーター』や『レ・ミゼラブル』に出ていたガチムチ系ラッセル・クロウと同じラッセル・クロウなのだろうか・・・。
感想
僕って全然映画観てないんだなあって感じにベタなタイトルが並んだ。
とにかく観返したい映画ばかり。
人生のそのときそのときごとに、夢中になったものをあって、それをしっかり記録しておくことは何にも増してプレシャスなんだと実感しました。
こうしてリストを見返すだけでも熱いものがこみ上げてくるぜ。
ぼちぼち観返しながら追記・修正していこうかな。