持論や考え

「食べる」という行為にもっと敬意を払おうと思いました

「食べる」

「食べる」という行為をしないで過ごす1日があるでしょうか。

生きるために食べるのか
食べるために生きるのか

そんな問いが成立してしまうほどに僕たちの生活に密着した行為、「食べる」

僕はべつに美食家でもないし、料理は好きだけどあくまで趣味で、プロではない。
栄養学などに詳しいわけでもないし、人と比べて極端に食へのこだわり・主義・信条などがあるわけでもない。

あるとしたらコンビニ弁当とかの類があまり得意ではないくらい。これも親が健康派で、基本自炊で、発がん性物質を含む加工肉などを避けるような人だったから、習慣として受けつでいるだけだ。

でもここで「食べる」という行為について、もっと敬意を払うべきだったと自戒して書くことにしたのは、もう少し精神的な話が理由としてあるからです。

まず、僕にはしたいことがたくさんありまして。。。

このブログも毎日のように更新するわけですが、1本記事を書こうとすると少なくとも1時間強はかかります。長いと5,6時間かかるものもあります。
かといって趣味である語学の勉強は続けたい。今はドイツ語ですが、スペイン語の学習もまだ終わったとはいえないし、今後は中国語とアラビア語も勉強したい。家庭教師をしている以上、英語についての研究もやめるわけにはいきません。
去年スレスレで落ちてしまった世界史検定1級も今年は絶対に合格したいし、できれば日本史検定2級あたりもあわせてとりたい。
詩や小説などの創作活動はライフワークだし、ギターとピアノも少しずつ上達していて楽しい。
年間150冊の読書量は落としたくないし、今年は映画も50本は観たい…。印象に残ったものはブログの記事にもしています。

とまあ、、、パッと思いつくだけでもとにかくすることがたくさんあって溢れています。

これは間違いなく幸せなことですが、同時に最近は頭の中が常に忙しくて、ごちゃごちゃしているなあと感じるところもありました。

特に自分でも目に余ると思ったのが、食事の時に動画や本などでインプットを続けていたことです。
食べている時間がもったいないと思っていました。

しかし、、、

さきほどいったように、「生きる」という言葉と並列に扱い得るほど、人間の生命活動の根幹、本質をなす「食べる」という行為をないがしろにするというのは、いかがなものか。

それほど大切な営みを、心の底から誠実に楽しまずして
良く生きているといえるのか。

食べている時、「おいしい」という喜びを正面から噛みしめていたのか。

食べることができるという、当たり前ではない幸運と環境に見合う感謝はできていたのか。

食べることが作業になるなんて、この食事のために払われたすべての自然や、生命や、労働に対して、あまりに不誠実ではないか。

そのように考えなおしました。

実際に、食事の時、一口一口に力を抜いて自然な態度でありつつも、すべての感覚を浸しこんでいくように意識してみます。

咀嚼の一回一回を感じて、食べ物が口の中でどのように転がり、どのように砕かれ、それに伴ってどのような食感や味が感じられるのかを認識するよう心がけます。

僕は普段から常に自炊していて、出来るだけ美味しく作ろうとはしていますが、最近は食べなれたせいか、感情が動くほどのおいしさを感じていませんでした。

しかし、こうして誠実に「食べる」という行為を向き合ってみるとどうでしょうか。

特別いつもとくらべて凝って作った料理ではなくても、今までの味はこれほど豊かで深みのあるものだったのかと驚くほど、素材や調味料の味が生き生きと感じられるようになるのです。

いつもと同じ味なのに。

白黒の景色が、鮮やかなカラーに戻ったような感覚でした。

モノクロの味が、色とりどりの味へ。

変わったのは僕の「食べる」という行為との向き合い方だけです。

口に入る匙のひとすくい、水のひとくち。そのそれぞれと誠実に向き合って食事をするのです。

そうすると自然と、「食べている瞬間」という時間に意識が向きます。
さらにこの食事を与えてくれた空間に意識がいきます。

今まで無意識に作業として行ってきた「食べる」という行為が突然と、感謝の念に包まれるようになりました。

このように書くと、宗教じみているとかスピリチュアルだとか思われると思います。
だから他の人にもこうしろなどというつもりはないです。

自分で気が付いて、実践して、納得しないと、感じ方はまるで違うと思うからです。

少なくとも、いろいろなことで頭がいっぱいになっていた僕にとって、
現在に集中することを思い出し、今あるものに感謝をすることを忘れないでいるために、
「食べる」という行為と向き合うというのは、完璧なタイミングでやってきた適切な習慣でした。

毎日3回、現在や自分や自分の行動に真から向き合う、瞑想のような時間を持てるということはとても大切だと思います。

マインドフルネスの科学的な効果なども証明され、多くの企業などで導入されていますが、僕にとってはこれが「食べる」という行為に誠心誠意の敬意を払い、集中力と監査者をもって自然に向き合うということでした。

今日も美味しい食事をいただくことができるというありがたい事実について、感謝を忘れることがあってはいけないし、丁寧に食事をすることは単純に食事の満足度も高めてくれます。

食べるスピードがおのずとゆっくりになるので、いつもと同じ量でもいつもより満腹感が得られますし、よく噛むので健康にも良くなります。

まさに良いことづくめ。

「食べる」という行為にもっと敬意を払おうと思った話。

自分の中では結構革命的な発見だったので、文章に残してみました。

食事のときには、しっかりと食事に集中する。

当たり前のことがいちばん大切なんですね。

ABOUT ME
ささ
25歳。 副業で家庭教師をやっているので教材代わりのまとめや、世界50か国以上旅をしてきて感じたこと・伝えるべきだと思ったこと、ただの持論(空論)、本や映画や音楽の感想記録、自作の詩や小説の公開など。 言葉は無力で強力であることを常に痛感し、それでも言葉を吐いて生きている。 ときどき記事を読んでTwitterから連絡をくれる方がいることをとても嬉しく思っています。何かあればお気軽に。