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【行動指針】世界中の人間が自分になったとしたら、今よりも世界が良くなるような人間であるように生きる

「世界中すべての人が、自分と同じことをやったらどうなるかを考える」

これは3年ほど前、2016年頃から変わらず僕が行動指針として事あるたびに思い出している言葉です。

言い換えれば

仮に世界中の人間が自分になったとしたら、今よりも世界が良くなるような人間であるように生きる」。

もちろん本当に世界中の人が自分になってしまったらマズイです。僕はお酒もタバコやらないのでこの業界が1か月で全滅することになってしまいます。

そういう極論ではなく、ひとつひとつの行動について、折に触れてこの行動指針を当てはめて考えて生きるようにしているのです。

例えば、プラスチックごみを間違えて燃えるごみのほうに入れてしまったとき。

気づいて拾って入れ直そうかと迷いますが、忙しさや入れたゴミ箱の汚さなどによっては「まあいいか、これくらい」と思ってしまいます。

こういうときに、行動指針に立ち返って考えるということです。

僕が今ここで1回する妥協は、70億人の妥協です。70億回の妥協です。

70億個のプラスチックゴミが、燃えるゴミに混ぜて捨てられるとき、世界はいまより良くなるのか、悪くなるのか。

良くなる可能性が高いほうに行動するなら、このゴミは拾って正しく分別して捨て直さなければなりません。

自分で作った料理が食べきれないときは?

一人暮らしだと一度に作ったものが余って余って3日間連続で同じものを食べる羽目になることがあります。さすがに3日目には飽きてくるし、新鮮味もありません。お腹もいっぱいだし、捨ててしまおうかな…?

日本は食品ロスが多いということで悪名高い国です。ひもじさを忘れた国だからです。

ここで行動指針を適用すると、今僕が捨てようという1人前ほどの残り物は、70億食分の食品ロスになると考えられます。

反対に、僕が今この残り物をとっておいて、次の日に我慢して食べたなら、それは70億食分の食品ロスを防止することに足る責任を果たしたことになります。

どちらがより良い世界をつくるでしょうか。

ここで嫌な気分になりながらもしっかりと自分で購入し、作ったものを食べきれば、もうこういうのは嫌だなと考え、買いすぎや作りすぎに気を付けるようになるかもしれません。それはそのまま食品ロスを防止するための行動です。

腐ったものを無理に食べる必要はありませんが、もし腐らせてしまい、それを捨てることになったら、70億色分の食べ物を無駄にしたのと同じと考えて反省するようにします。

ちなみに僕はこの行動指針に則って、一人暮らしを始めてから、一度も食べ物を捨てたことがありません。

ではもう1つほど例を。

もっと話を人間関係に向けてみます。

まばらに空席があるほどの電車に、ベビーカーを押したお母さんが乗ってきたとします。このとき、僕はドアの間のスペースに近い、端っこの椅子に座っています。

ベビーカーを押すお母さんは、ドアの近くのスペースの角にベビーカーを置いて、そのすぐ横の椅子に腰かけたいはずです。周囲の人の邪魔にならないためにも、お母さんの大変さを考えてもそうでしょう。そしてその席を今取っているのは僕です。

ここで僕が少し席を動けば、お母さんは楽になりますし、周りの人にとってもベビーカーが邪魔にならない位置におさまります。

もしここで僕が、それに気が付かず動かなかったり、見て見ぬ振りをしていいやと考えたり、向かいの席の人など他の誰かが動くだろうと人任せにしたりすれば

行動指針によるとそれは、70億分の無頓着で、70億分の知らんぷりで、70億人分の人任せということになります。

一方で、気づいた瞬間に一声かけて席を動けば、それは70億分の優しさや、70億分の気遣いに対する責任を果たしたことになります。自分の一つの行動が、世界に70億もの優しさを流すことができると考えることにするのです。

そして実際にそれは事実です。ひとりにできることをみんながするだけで、世界はグンと良くなるはずなのです。

もちろん皆が皆全知全能なわけではないので、僕も僕が全く知らずに、考えもしないことで世界が悪くなる方に加担しているのかもしれません。

だから常に何かを知ろうとする姿勢や、正しい行動の方向性を学ぼうする志は大切です。しかし、たとえそれが出来なくても、せめて自分がわかっていることについてくらいはしっかりと自分ひとりの責任を果たしたいのです。

世界中すべての人が、自分と同じことをやったらどうなるかを考える」

「仮に世界中の人間が自分になったとしたら、今よりも世界が良くなるような人間であるように生きる」

この行動指針は、大それたことを要求しているように聞こえますが、実際は反対で、個人の責任を個人内に留めています。

人間としての自分の責任は、70億の人間が存在するこの地球上で、ひとりぶんに過ぎないのです。

だから、よく優しい人が陥る「世界のすべてを自分がなんとかしなきゃ」という気持ちを持つ必要はないということです。それは僕の責任でもないし、あなたの責任でもない。

でも、自分が落としたわけじゃないゴミでも拾っておこうかな、などという優しさはもちろんあっていい。ただそれを続けて、街中のゴミを拾いきるのは無理な話。どこかで「まあいいか」と妥協する自分と向き合わねばならないタイミングがきます。

そのときにこの行動指針を思い出します。自分の責任はゴミをひとつ拾ったときにすでに十分すぎるほど果たされているんです。なんなら、ポイ捨てをしていない時点で、ひとつの責任を果たしてる。

もし自分が5つのゴミを拾ったならそれは、350億個のゴミを拾った功績だと考えてよいのだと思います。それがフェアな責任の考え方です。

すこし気が軽くなるような方向の話になりましたが、実際にはこの行動指針を日本で全うするのは至難の業です。

何故なら日本は、搾取している側の国だから。

ユニクロの服はなぜあんなに高品質で安いのでしょう。僕たちが2年ごとに買い替えるスマホの使い捨てられたデバイスはどこにいくのでしょう。夏になれば必要以上にエアコンを効かせる僕たちですが、その電気を作るための火力発電が汚しているものなんでしょう。

不当なまでの低賃金労働が行われている国があります。輸出されるe-waste(電子ゴミ)が輸入国の貧困層に健康被害を与えています。火力発電による大気汚染が原因の疾患のせいで死亡する人数は、原子力発電所の事故により命を落とした人数を優に超えます。

僕は専門家ではないので、それぞれの問題と僕たちの生活態度の間にどれくらい確からしい因果関係があるのかはわかりません。

しかし、それくらい考えるべきことは多岐にわたり、行動の奥の奥、先の先をみる想像力が、この行動指針に従う上では求められるということです。

簡単ではないです。とても難しいです。

だから僕は3年経っても、全然この行動指針をきちんとは守れていません。

それでもこの行動指針が気づかせてくれたことはたくさんありますし、変に自分がなんでも解決しないきゃなどと考えすぎて辛くなることもなくて済みます。

これが僕が心の隅に留めていて、折に触れて引っ張りだしている行動指針の意味するところです。

世界中の人間が自分になったとしたら、今よりも世界が良くなるような人間であるように生きる。

世界の一員である以上、最低限守る努力しなければならないラインだと思っています。

読んでくれてありがとうございました。

ABOUT ME
ささ
25歳。 副業で家庭教師をやっているので教材代わりのまとめや、世界50か国以上旅をしてきて感じたこと・伝えるべきだと思ったこと、ただの持論(空論)、本や映画や音楽の感想記録、自作の詩や小説の公開など。 言葉は無力で強力であることを常に痛感し、それでも言葉を吐いて生きている。 ときどき記事を読んでTwitterから連絡をくれる方がいることをとても嬉しく思っています。何かあればお気軽に。