世界中回ったり、農業やったり、住み込み大工やったり、、、
なんとも自由に生きてきて、楽しい経験も素晴らしい思いも、ひもじい生活も、その中の喜びも、ほどほどに自分の中に落とし込めてきた気がします。(いきなり自分語り・・・)
そんな僕もちょっとみんなより遅れて社会人になり
新人なりに会社に貢献できている実感も湧いてきて
尊敬できるリーダーや頼りになる先輩と密にかかわりながら仕事ができているので、なかなか恵まれているなあと、日々思うのです。
変な生活をしている間に、多くの人間的な本質の部分触れ、考え、書いてきました。
また自分の考えを相手に伝え、相手の考えを問うてきました。
日本中、世界中に何百人もの人と対話してきました。
それに触発されて、浴びるように本を読み、映画を観て、
ついでに言語や歴史を深く学び、いつしか話の幅や、相手の話を楽しく聞く懐の広さは、だんだんと鍛えられてきた実感がある。
それは社会人になった今、大いにコミュニケーションで役に立っています。
小さいころから軽度の吃音を隠すために工夫して話す習慣があったから、人よりも話すことに関しては流ちょうだということもあり、コミュニケーションにはそれなりの自信があるわけです。
しかし、最近とにかく仕事ができまくり、厳しさも優しさも完璧であり、実に理想のリーダーそのもの感の出まくっている我が上司との毎日のかかわりのなかで、コミュニケーション能力という、やたら世間で持ち上げられている得体のしれない美辞麗句について再考してみた。
以下が、その再考の、現段階の暫定的結論なのです。では↓GO。
Contents
コミュニケーション能力とは話が面白いことではない
学生の感覚でコミュニケーション能力があるというと、どうしても誰とでも仲良く、明るく、楽しく、面白く話せることだという印象が強いです。
明石家さんまさんのように、どんなゲストが来ても自然に絡んで面白く料理できてしまうような。
もしくも強いリーダーシップを発揮して、大人数を仕切れたりとか。
だから面接では居酒屋でバイトしていたのでコミュニケーション能力には自信がありますが、学生イベントで司会やっていたので人前で話すことに慣れています、とか、そういう話題が多いのではないでしょうか。
まあ、それはそれで素敵な経験だし、素晴らしい能力です。
しかしいわゆる企業側がお金稼ぎ兵士6等兵として雇いたい新社会人に求めるものとは違う気がするのです。
明るく元気で楽しいヤツでも、コミュニケーション能力がない!と思われることはきっと結構あります。
もちろん人間面白いのはとても良いことで、きっとそれは仕事でも活きるけれど。
コミュニケーション能力とは流ちょうによどみなく言葉をつむぐことではない
流ちょうに話せる人と、そうでない人がいます。
言語能力が高く、話のテンポやと抑揚が心地よく、豊富な語彙を駆使して、話のない内容をよどみなく伝えていく。
これはすさまじい能力です。
きっと頭の回転も速いのでしょう。
これが手に入るなら3日連続富士登山くらいなら耐えられそうだ。
5日連続富士登山ならちょっと無理なので本読んで勉強するくらいにするけれど。(4日連続富士登山なら3日やってから考えます。3日連続富士登山したらそれ単独でもちょっとした話のネタになるので。)
が、が、が、
これもたぶんコミュニケーション能力とは違う。
これはいわばアナウンサー能力です。
アナウンサーはコミュニケーション能力だから高い、という言説はそれほどストレートには腹落ちしませんな。
どちらかというとコミュニケーション能力が高いのは原稿を考えたり、ニュースの構成をしている人たちです。
我々アホウな視聴者が、飯に食らいながら半口空けてボーっと観ていても飽きずに最新のニュースの概要がつかめるように仕組んでいるのは彼らなのですから。
それに聞きやすい言葉で同時の見解を交えながら、美声でとどめを刺しているんがアナウンサーの方々です。
コミュニケーション能力とは相手をワッショイして機嫌を取ることではない
この世で最も下品なコミュニケーション能力の誤解であります。
とはいってももちろん人間だれしも合わない同士はあるわけで、そこで上手い事関係をこじらせず誤魔化すために表面上で云々しないといけないことはあります。
だから別にワッショイしてもいいのです。
ただこれをコミュニケーション能力と勘違いして
「俺、上の人に取り入るの上手いからマジで。速攻気に入られるw」などと言っている輩は危ないと思われます。
ヨイショして気に入られてうまくいくこともあるだろうけど
それで人間関係を築くことに慣れたら幸せな人生はないはずです。仕事に限らずね。
多くの人にはそれで良くても、本当に大事な場面では本気で誠実に向き合うという過程を踏まないと、いずれ立ち行かなくなります。
まあ、そんな人生論めいた話は置いておくとして。
冷静に考えて、ワッショイしていてお金が儲かりますか?
案件は進捗しますか?
「上の人の愚痴聞くのも仕事だよね~、ご機嫌とっとけばいいんだよ」
うん、わからなくもない。
ですが、社内全員がそうしたところでお客さんの期待に応えることに繋がるでしょうか?
お金儲けがすべてであるとは毛頭考えていませんが、
企業の存在は営利追及が前提です。
どれだけ世のため人のためと理想を掲げても、利益が途絶えたら存在できない。
他人を幸せにしたいと思って生きる人も、まず自分が今日の飯を食わないと何もできないことと同じです。
ワッショイして上司の”お気に”になっても儲かりませんので、
そんな副次的な要素を「コミュニケーション能力がある人材!」と採用の第一条件のように掲げる会社がこんな多いはずがないのです。
では、コミュニケーション能力とは何か。
僕はまだ社会人1年目の若輩者ですが、暫定的にたどり着いた結論をここに記そう。
コミュニケーション能力とは、想像力があることである
コミュニケーション能力とは、想像力があることである。
想像力、イマジネーション。
はて、いったい何をImagineするのか。
All the people なのか。
コミュニケーション能力と言った時に何をイマジンするべきかというと
それは「相手が欲しい情報」に尽きるかと思います。
相手が欲しい情報
相手が欲しい情報
相手が欲しい情報・・・・
この上司は部下の僕から一体何を知りたいんだ?
僕は仕事が出来ないので、もちろん上司の指導やサポートが必要だ。
上司が僕を指導したいとき、まず何を知らないといけないんだ?
まず、僕が何をしなければいけないか。
そして、それをどのようにやろうとしているか。
何がどこまで進んでいるのか。
さらに、その過程のどこで困っているのか。
なぜその問題にそれほど時間をかけるべきだと考えているのか。
頼るとしてたら誰だと思っているのか。
誰のためにその仕事しているのか。
いつまでにそれが終わればいいのか。
他に何のタスクを抱えているのか。
エトセトラ、エトセトラ。
こういう情報を上司に与えてあげれば
「ああ、そのやり方でいいと思うよ。あーそこで困ってるのね、いつまでだっけ?今週中なんだ。じゃあそれは今日中に解決しなきゃだね。4時からなら少し教えてあげられるけど時間ある?あー、確かに山田さんものそのへん詳しいね、空いてるか聞いてみれば?佐藤さんとかでもわかると思うよ。他に何やってるんだっけ?ああ、その資料ね。それできれば早い方が助かるから、もし山田さんも佐藤さんも捕まらなかったらそっち先に進めとくようにしてもらってもいい?」
みたいなアドバイスを上司から引き出しやすくなる。
上司としても全部聞かないと何も情報をくれない部下ではアドバイスしにくいはずです。
上司もみんながみんな仕事ができるわけではありません(爆)。
経験値があれば大抵のことは大して考えてなくても出来るからです。
しかしその経験値を部下のためになる形に成型して提示できる有能な神上司ばかりではないのです。
だから部下の方からある程度成型してあげた情報を先にあげることで、
その情報に穴埋め的に応えるだけでいいアドバイスができるように上司を誘導するのです。
そのためには、まず相手の立場になって考える想像力が必要です。
それ以外にも、相手のスケジュールを見て、どんな仕事を抱えているのか、どれくらい忙しいのかをできるだけ想像する。
上司は部下から見えない部分で部下の5倍は仕事をしているものだと思います。
旦那が雑に扱うマヨネーズの蓋がいつも綺麗なのは、実は妻が旦那が使った後のそれをいつも吹いてくれているから、という話と同じです。良妻賢母を賛美するジェンダー不平等の誘導のつもりではないのであしからず。)
先ほど「上司ヨイショ」をばっさり否定しましたが、同じことでも、上記のような想像の過程を経れば、自然と感謝が湧いてきます。
上司へのねぎらいや感謝や尊敬の言葉も、ワッショイ作戦の暗躍ではなく、誠実な人間関係への第一歩となりうるわけです。
部下に見えない辛苦を抱える上司の気持ちを想像して対応するのであれば、それもある意味、相手が欲しい情報(この場合は反応やコメント)を与えることの一部となります。
まあ、「そんなきれいごと言ってもね、本当にクソな上司もいるから!」ということでれば、そっとその場を離れるしかないのでしょう。
コミュニケーション能力とは、知識が豊富なことである
コミュニケーション能力とは、知識が豊富なことである。
話の面白さとは結局その多くを知識量に依存しています。
知識や経験が豊富な人の話は、単調に話されても面白い。
純粋なコンテンツの強さがあるのです。
つまらない話を話法によって魅力的なものに昇華することは可能です。
しかし、本当に面白い話は語り口の推進力に頼らずとも面白いのです。
ここでいう「面白い」はげらげら笑える面白さではなく
脳内で静かにスパーク弾ける知的な面白さです。
funnyやhilariousではなく、interestingでintriguingな面白さです。
知識や興味や経験が豊富だと、どんな話を振られてもそれらしい返答ができます。
というか自分事のトピックに含まれていることなのでむしろその話がしたくなり、普通に自分が知りたいことや聞きたいことを疑問文で返せます。
社会人歴が長い人は人生が長いだけ、知識や興味や経験が多いので、
新社会人からすると、「・・・で?」という話が多くなります。
しかし、知識が多い人はその相手の知識の範囲に肉迫できるので、それがそのまま会話の守備範囲の拡大になります。
これらは社内の雑談や、取引導入のスモールトークの話ですが、実務でも知識が強いです。
ひとつの疑問や要求に対して、知識がある人は複数の回答を用意できます。
さらにその複数の回答についてそれぞれ過去の事例も絡めて話すことができれば、お客さんとしては本当に選びやすい。
このように知識はコミュニケーションを円滑に、効果的に、生産的に行うには必要不可欠ですが
新人にはどうしてもこれは酷だ・・・と僕もひとりの新人として感じます。
経験を通して知見を貯めるのにはどうあがいても時間がかかります。
ただここから学べることは、コミュニケーション能力に自信がない場合、巷にあふれる眉唾なコミュニケーション用のknow-howベストセラー本を買って読む以上に、実務に関連する知識を身に着けるほうが効率が良いということです。
自分たちが売っているモノやサービスについての詳細やその発展の歴史、自社であった過去の事例、世間や業界の潮流など。
そういうことを知っていれば、話せることは増えてくるはずです。
話した内容が相手の役に立ったという経験が増えれば増えるほど、表面的なコミュニケーションにも自信が出てくるはず。
そうなってから巷のコミュニケーション本を読めば、効果的にそれらを使ったりも出来るかもしれないですね。
コミュニケーション能力とは、タイミングが良いことである
仕事も恋愛も人生も、、、結局はタイミングなのだ。
そんな極論も、なかなか否定するのが難しい。
朝、目があったときに素敵な笑顔で「おはよう!」と言われたら惚れてしまう案件ですが、すでにその日に何回か顔を合わせているのに急に自席やってきて笑顔で「おはよう!」と言われたら怖いです。
タイミングとは恐ろしい因子です。
ここまでに
「相手が欲しい情報を想像するのがコミュニケーション能力だい!」
「コミュニケーション能力は知識に裏打ちされるんだお!」
などと書いてきたわけですが。
畢竟、どちらもタイミングを間違えたら大惨事になります。
相手が欲しい情報を与えてもタイミングを間違えれば
「いや、もっと早くいってよ!!!」となったり、、、
豊富な知識をもとにためになる話をしてもタイミングを間違えれば
「だまれ、このウンチク星人が!!!!」となったり・・・(´;ω;`)
するのであります。
これに関しては割と相手によって適切なタイミングが違うことも多い気がするので「嗅覚」に頼らざる得ない部分もありますが。
完全に業務に関する話であればもう事前にタイミングについても合意してしまうの楽かもしれません。
「これやっといて」
「いつまでですか」
「今週中で」
「じゃあ水曜の夕方の時点で出来てなくてもその段階までのものを見ていただいていいですか?フィードバック踏まえて金曜までに完成させます。」
「いいよ、水曜だと3時くらいなら時間とれるかな」
「ありがとうございます、木曜の昼前くらいまでにフィードバックいただけると助かります。今週中なら金曜の午前までにお出しして、午後に最後の確認をしていただけるようにしたいので」
「わかりました、じゃあそれでお願いします。」
みたいな!(自作自演に基づく理想すぎるので現実はこうはいかないけどね。意識としてね。)
また、タイミングを相手にゆだねるという手もあります。
いきなり上司の自席に聞きに行ったり、先方に電話をかけるのではなく、チャットやメールで質問や内容を先に投げておき、あちら側にタイミングで教えてくれと依頼してしまう。
「いちいちこんなことでチャットしてないで直接聞きにくればいいだろう」
というチャット慣れしない前時代的な人間が相手の場合は
「申し訳ありません、お忙しいようでしたので○○さんのタイミングで返していただけるようにチャットで連絡しました。今後は直接来た方がよいでしょうか?」とコミュニケーション手段の合意をとるしかないですね。
これでも
「いや、直接来いとは言ったけど、いま忙しいのはわかるだろ!!」となったら、あなたの空気読みスキルが壊滅的に低いか、相手の察して坊やレベルが破壊的に高いかのどちらかです。
心のスイッチをオフにして逃げるしかないのです、、、、
どんなに博愛主義を掲げても、どうしても理解し合えない相手がこの世にはいるのだという残酷で不条理な事実に枕を濡らしてください。
そして翌朝カーテンを開けて差し込む陽の光から、人生への希望を取り戻して、新しい日の一歩を踏み出してください。
鼻につく文学イズムはさておいて、
業務に関しての情報はタイミングが命です。
イベントのタイトルが変更になったという情報が
イベントのフライヤーを1万部刷ってしまったあとに届いても大騒ぎになるだけです。
これは極端な例ですが、大人数が関わるチームでの仕事の場合、だれがどの情報を持っているのかはすぐに混乱してわからなくなります。
個々人が複数のタスクに追われてコミュニケーションに余裕がなくなれば、致命的な情報がどこまで伝わっているのかなどすぐに忘れさられます。
その間に他のメンバーは作業を進めてしまい、ほんの半日後にその情報について考える余裕が出たときにはもう。。。なんてことに。
正しい情報をわかりやすく伝えてもタイミングが悪ければ台無し仮面ということでした。
まとめ
【違う、そうじゃない。なコミュニケーション能力】
- 話が面白いこと
- 流ちょうに話せること
- ご機嫌とりが上手いこと
【それよりのそれ!なコミュニケーション能力】
- 想像力があること
- 知識が豊富なこと
- タイミングが良い事
以上、生意気にも社会人1年目が神上司と働きながらくみ取った、仕事におけるコミュニケーション能力についてでした。
これはでも家族間や友人間でもとても大事なことだと思うのです。
突き詰めれば万事人間関係なので。
こんな記事を書くと意識高い系と思われそうですが
僕自身は今の仕事にも業界にも全然興味ないけど社会勉強として働かせていただいているという感じなので、
別に出世したいとかお金持ちになりたいとか成功したいとかではないのです。
ただ、人間としてしっかりしたいなというか、
信頼されたいし、人のことも信頼したい。
出来ればわかり合いたいし、
一緒にいたり、話したり、何かをやったりするなら、みんながそれで気持ちよくなる方がいいと思う。
自分が出来る範囲で、それに貢献できれば嬉しいと思ってる。
そのために一生懸命考えて生きている。
という感じなのです。
やっぱり人間関係って、すべての幸せと不幸に繋がりうるくらい大きいものだと思うので、コミュニケーション能力っていうのは、本当に奥が深くて大切で。
言葉にできるものなんて、心の中とか奥にあるもののうちの
ほんのちょっとに過ぎないから。
誤解もあるし、衝突もある。
それでも言葉を交換するしかないときが多い。
まさか上司とハグして気持ちを伝えあうことはできませんね。
だから丁寧にコミュニケーションを重ねるしかないんです。
それは人が集まって生きていくときは常に大切。
だからどのでもコミュニケーション能力がある人が重宝される。
なのにそのコミュニケーション能力の意味がみんなの中で違ったら困ります。
そして実際にコミュニケーション能力の意味なんてほとんどちゃんと考える人がいなくて、みんななんとなく使ってる。自分の感覚的な解釈で。
感覚が異なる人たちが協力するためのコミュニケーションなのに、感覚的なコミュニケーションという言葉を使っていたら
「暑いので風を感じるためにダッシュする、もっと暑くなる」くらい本末転倒なことになってしまいます。
ここに書いたのはあくまで暫定的な結論。
まだまだ社会人1年目。経験浅く、未熟なピヨピーヨ1世です。
これからも、ずっとずっとコミュニケーションについては考えていきたいと思います。
出来るだけ、丁寧に。
出来るだけ、誠実に。
では。