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大人こそ文法から学ぶべき5つの理由
繰り返しになりますが、改めて。
理由その① 抽象化の能力が高いから
理由その② 他の言語や物事に取り組むときにも役立つから ← 今回のテーマ!
理由その③ 「何故」がわかるから
理由その④ 大人だから
理由その⑤ 結局本質的な英語学習だから
今回は 理由その② にあたる「他の言語や物事に取り組むときにも役立つから」について書いていきます。 理由その①は こちら 。
理由その② 他の言語や物事に取り組むときにも役立つから
学習の最大の意義は副次的にもたらされるものにあり
これは完全に僕の個人的な意見なのですが、学習や練習などに取り組む最大の意義は、それが僕たちに副次的にもたらすものにあると思っています。
どういうことかといいますと、
例えば学生時代に真剣に部活動に取り組んだ方。その活動や努力から得た一番価値のあるものってなんだったと思いますか?
野球がうまくなったことじゃないと思います。コンテストで良い演奏ができたことじゃないと思います。
一番の意義はもしかしたらこんなことじゃないでしょうか。
- 努力することやそれを通した自分への自信
- 仲間との関係や、チームで動く大切さ
- 規律を守ったり、物や空間を大切にすること
- 目的をもって練習や行動をすること
- 自分の意見を伝えることや上手な伝え方
他にもいろいろな体験や困難を通して学んだことがあると思います。
それは試合に勝つとか入賞するといった、活動の究極目標とは直接関係があることではなく、あくまでそれを真剣に目指す中でついでについてきたものです。
しかし
良い教員というのは、間違いなくこの副次的な意義を生徒に伝えるために教員をしています。
数学を通して、歴史を通して、野球を通して、吹奏楽を通して、
生徒に何か大切なことを学んでほしいと思っています。
公式や年号に詳しく、出塁率の高い正確なトランペット奏者を育てるために、教員をやっているわけではないのです。
何故ならそれは、テストや試合やコンクールでしか役に立たないからで、人間それだけで生きていくわけではないからです。
大人になって何かを学ぶとき、そのような真の意図が暗にこもった指導をしてくれる先生はもういません。
しかし独学でも、どうせ何かに真剣に取り組むならば、上に書いたような副次的な学びも得ないことには、その取り組みを意義を最大限引き出しているとは言えないと思います。
僕は外国語学習についても同じことを考えています。そして外国語学習のなかでも、文法は特にそうのような副次的な学びが多い分野だと信じているので、物事を自分で考える力のある大人こそ、文法からしっかり取り組むべきだと思います。
せっかく英語を頑張って勉強するのに、英語しかできるようにならないなんて勿体ないです。
「英語ができるようになればそれでいい。文法なんていらない。」
という人もいると思いますが、私が好きで文法に執着しているから、この文章を書いているわけではなく(まぁその節もあるかも・・・)、結局きちんと英語を理解して使いこなすには必要なものなのです。詳しくは 理由その⑤ に書きますが。
ですから、
どうせ英語を習得するには英文法はやらなくてはならない。だったら、それに取り組む中で自分が得られる、英語以外のことにも役立つ意義を意識して頑張ろうよ。そんでもっと、英文法はそういう意義めっちゃあるよ。
というのが、私の言いたいことです。
文法学習の副次的学び
●●他の言語を学ぶ時に役に立つ●●
★ヨーロッパの言語はだいたい英語とそっくり
日本人のほとんどが初めて習う外国語は英語だと思います。
ですから日本人はまず
”言語というものは互いに全く異なるものなんだ”
と印象を持つと思います。しかしそれは日本語と英語、2言語間の距離がめちゃめちゃ遠いからそう思えるだけで、実際言語同士というのは非常に似通っているものが多いです。
ヨーロッパのような歴史の中では同じ政治圏・文化圏だったような場所ではそれが顕著です。
例えばイタリア人とスペイン人は、互いに母国語がしか話さなくても、70%くらいは互いの言っていることが理解できます。もちろんゆっくりはっきり話したり、ジェスチャーをまじえたりしてですが。
英語もヨーロッパ言語なので同じです。語彙レベルでも他の言葉(特にフランス語)からの流入が多いですし、文法も基本の枠組みに関しては、日本語から見れば、ほとんど同じです。(イギリスの人に「英語とスペイン語って似てるよね」というと「え!?全然似てないよ!」という人もいますが、そういう人も日本語やバスク語を学べば確実に意見が変わります。相対的な話をしているのです。)
ですから、そのような言語のうちのひとつである英語の文法をしっかりマスターすれば、他のヨーロッパ言語の習得がすごく楽になります。
「ああ、英語でいうとココの勉強してるんだ、今」と、自分の位置もわかりますし。
僕がスペイン語を勉強していて思ったことは、
英文法をマスターしている時点で、スペイン語文法の5割はもマスターしている
ということ。もっとかもしれません。実際英語をマスターしてからスペイン語の勉強をしている人は、日本ではなく英語でスペイン語を勉強している人が多いのではないでしょうか。僕もそうですが、そのほうが圧倒的に楽なんです。
★その他の言語も、英文法に体系を参照しながら学べる
英文法は無限に広がっているわけではなく、覚えるべきことはある程度限定的に決まっています。
文構造、品詞の役割、複文のつくり方、時制、相、態、法、活用、比較など。
しっかり学べば、これらが互いにどのように関わりあっていて、それぞれの中にどれくらいの学習事項があるのかわかります。
ちなみに僕の脳内の理解をまとめたものがこちらの 英文法マップ です。
僕はフランス語、ロシア語、アラビア語などをかじったことがありますが、やはり所詮はどれもインド=ヨーロッパ語族ということで、全然似てないようで似ているところも多いです。
しかし、中国語やタイ語など、完全に異なる言語を学ぶうえでも一つの言語(ここでは英語)体系を徹底的に学んだ経験は役に立ちます。
疑問文は助動詞の倒置ではなく助詞の付与で表されるんだなぁ とか
時制は動詞の活用ではなく、時間についての表現をつけるだけでいいんだぁ とか。
習わなくても文法規則を一般化して理解し、自分なりに脳内の文法地図を、新しい言語用に編集していくことができます。
また、外国の方に日本語を説明するときにも、文法的な言葉の捉え方に慣れていると、格段に楽に法則が見つけられ、納得のいく答えを示すことができます。
●●論理的な思考力が鍛えられる●●
日本語は他の言語との関係が極めて薄い孤立した言語です。
ですから、英語を学ぶ上でも日本語の知識を応用できる部分は多くありません。特に文法に関しては、枝葉末節には類似点あれど、大枠ではほとんど共通点がありません。
例えば、前置詞などは日本語には存在しないし、「接続詞」という用語の意味するところも大きく違います。
一方、英語は極めて論理的な言語です。発音とスペルを抜きにすれば、例外的な規則の数をかなり抑えた文法体系を編むことができ、実際にそのような英文法が広く支持され、学ばれています。
つまり英文法を学ぶということは未知の論理体系に飛び込み、既存の知識による障害を排しながら、その体系のルール上で正しい解釈を見つけていくという活動になります。
もはや数学のようです。
今では企業が求める人材に「論理的思考力」と書かれていないほうが珍しい。理系の強み、文系の弱みと思われがちなこの能力は、英文法を通してでも鍛えることが可能です。(ちょっとこの記事自体が論理的に正しいか怪しいのに恐縮ですが(笑))
そして「英語力」はやっぱりどこでも求められる。
ならば英文法を学び、論理的思考力と英語力、一挙両得を目指すというのはどうでしょうか。
●●抽象化能力が上がる●●
理由その①の記事 でも述べたように
英文法というのは抽象化の嵐です。
英文法を使いこなすうえで、上に書いた論理的思考と合わせて、抽象化と具体化を意識的に操る能力高さが大きな助けとなります。
大したレベルのものではありませんが、母国語では意識してやっていることではないので、せっかく外国語を学ぶのであればしっかり意識して取り組みましょう。
鍛えている部位を意識して能率が上がるという面では筋トレのようなものです。
informationとluggageは同じ(不可算名詞)
I wish I could fly. と I would do it. は同じ(仮定法)
I’m fine and you? と I will study English as you do.は同じ(同形反復と省略)
というように知識を抽象化してまとめることで楽に覚えられるのが文法の利点。
いざ書いたり話したりするときに、引き出すのが楽になることも利点。
英文法ついでに抽象化して情報を見ることにも慣れることができます。
●●相対的なものの見方が身に着く●●
相対とは、他との比較や関係において物事を捉えることです。ここでは、”柔軟な姿勢”といってもよいかもしれません。自分のなかで絶対的であるものを、他との比較で見直すことを、「相対化する」と言います。英語を学ぶにはこの過程が必須になります。特に日本語は、英語とは全く異なる言語なので、この過程は徹底的であるべきです。
多くの日本人にとって、日本語は絶対的な言語です。実際、英語を教えていて、学習者からよくいただく質問(というより苦情?)は「なんで英語ではこうなの?日本語ではこうなのに!」というもの。
「日本語でこうだから英語でもこう」というのはナンセンスです。これはもう「なんで日本では定食のご飯は五穀米に変えられるのに、フレンチコースのバケットは五穀米に変えられないんだ!!」と言ってるくらいおかしいです。日本の定食とフレンチのコースでは、ルールが違うのです。
英文法を学ぶためにはまず、日本語ありとあらゆるかたちで存在し、多種多様な異なる規則をもつ世界中の言語のひとつにすぎないということを理解し、日本語のルールを頭から追い出す必要があります。
これが「相対的にものをみる」ということです。
これは「当たり前のことが当たり前ではないということを知る」ことにも繋がります。
英語を習得したら、それで誰と話すんでしょうか。日本人とは日本語で話すことがほとんどだと思うので、英語を学習するということは、その先には外国の方とコミュニケーションをとることが想定されているはずです。
そういった国際感覚が要求される場では、 「相対的にものをみる」 「当たり前のことが当たり前ではないということを知る」 ということが本当に大切です。
国や文化をまたいだコミュニケーションにおいて、礼儀礼節を守ったり相手に喜んでもらったりするためには、自分の価値観や常識を相対化して、相手のそれを尊重したり、相手にわかるようにこちらの価値観や常識を伝えることが大切です。
相手側(英語話者)のルールに染まって使いこなす必要がある英文法は、それを身に着けるために格好の教材。身に着ける英語は、同時に身に着いた相対的な(柔軟な)姿勢が求められる国際舞台で使うためのものなはずです!
世の中で英語が重視される理由
副次的にもたらされるもののために英文法学習には意義があるということを書きました。
しかしそもそもどうして世の中でここまで英語が重視されるのでしょうか。もちろん英語は国際言語としての地位を確固たるものにしているので、国際常識として英語を話せる必要があるのかもしれません。グローバリゼーションは当分その速度を落とす気配もないですし。
ただ英語を全く必要としないポジションであっても、英語力やTOEICスコアを見ている企業は多いように思えます。
結局それは、英語を身につけた人は、英語学習を通して上に書いたような能力も副次的に身に着けている、もしくはそういった能力がそもそも高いと期待されるからだと思います。
それに努力する人間としての証明や目標を達成する力を持つ証明として英語力を参考にすることもあるかもしれません。
英語など言葉、つまりコミュニケーションを取る手段に過ぎないのですから、日本語を話しても褒めてくれる人がいないように、英語を話せるからどうということはないのです。
もちろん話せるに越したことはありませんが、それよりも大切なのは、英語に何を話すか、どのように話すかです。
しかし英語は射程距離が最も広い言語ですから、中身のない人間が英語を話せば世界的な恥晒しになる一方、面白いアイデアや素晴らしい思想を英語で伝えれば、それも世界中に届きます。
身に着けた英語を良く活かすためにも、英語の学習過程において是非他のことも学び身につけましょう。それには英文法はうってつけである、と改めて強調し、今回に記事を終わることにします。
では 理由その③ に続きます。