自作の小説や詩など

『ギリシャの浜辺』(短編小説)

休日なので美術館に来ています。絵画や芸術一般に造詣が深いわけではないし、普段はひとりで美術館などにくる質ではないのですが、ちょっと日ごろの喧騒から離れて、穏やかな空間に身を置きたくなったのです。現実逃避というやつかもしれません。美術館というのは、展示されている作品だけでなく建物自体もどこか現実離れしていて癒しを与えるものですが、館の周りの環境も自然があったり文化的な施設が固まっていたりします。私は結構こういう空間が好きなのかもしれません。特に目的の作品や展示があるわけでもないので、順路に従って漫然とふらふら館内を歩いていました。それぞれの作品の横には四角い白のパネルで、作品についての説明が書かれています。

高校生の頃、家族で一度だけ海外旅行に行ったことがありました。平凡な家庭だった私たち家族にとって海外旅行は一大決心、大冒険でした。2年がかりで貯金して、私も自分が旅先で遊ぶお金くらいは自分で貯めようと、初めてのアルバイトをしたりもしました。当時まだ小学生だった妹でさえ、両親や私の並々ならぬ気合を感じ取ってわがままを言わなくなったくらいです。サンタクロースを信じるほど幼くなかった妹は、旅行前のクリスマスには「旅行に行けるからクリスマスプレゼントはいらない」とさえ言いました。そんなこんなで徹底的なリサーチと厳正な家族会議の結果、旅先はフランスのパリに決まりました。散々相談したあげくになんともベタな決定です。でも、世界随一の観光地であるからには、それなりの魅力が確かにあるのだな、とパリについて調べれば調べるほど、そう思えてくるのでした。

以降、高校の国際科で開講されていたフランス語の授業に潜ってみたり、歴史の授業の範囲を無視して勝手にフランス革命のページを読んでみたりと、私はわかりやすく浮かれたものでした。日曜日には妹と『レ・ミゼラブル』を見たり、「オーシャンゼリゼー」と歌ってみたりしました。両親も負けておらず、母はナイフとフォークで食べるような夕食を作りたがるし、父は何もわからないくせにセザンヌの画集を買ってきました。

それだけ気合が入っていたのですから、未知の土地についたワクワクやら、フランス語はおろか英語もロクにわからない不安やらで浮足立ったまま、私たち家族のパリ旅行が始まりました。長いフランスパンを持ってコーヒーを片手に歩くブロンドの女性が本当にいるのを見て私たち姉妹は歓声をあげ、見上げれば同じ高さに揃えられそれぞれに草花をあつらえた白い建物の連なりに心が躍りました。これぞパリです。

そしてこのときの旅行の目玉はやはりルーブル美術館。今でも美術館などにはあまり足を運びませんが、高校生だった当時はなおさらです。私にとって美術館は、絵が上手な仲良しのユキちゃんが賞をとった時に彼女の作品が展示される場所という以上のなにものでもありませんでした。そんな私でもさすがにルーブル美術館にはときめきました。建物自体も静謐として美しいし、何よりテレビのクイズ番組なんかで見たことがある有名な作品が目の前にあるのです。「よくわからないけどなんだか凄い!」そう言って妹とはしゃいでいました。高校で配られた世界史の資料集に大きく載っていた絵画を生でみるのはなんとも不思議で、なにより思っていた数倍は大きいそのスケールに圧倒されました。いたずら書きでドラえもんやキティちゃんを描くだけの私のお絵描きとは全く次元が違い、同じ描くという動作でなりたっている作品とは思えませんでした。ちなみにルーブル美術館で最も人気のある作品のひとつである『モナ・リザ』は、父が飛行機の中で何度も「思ったよりも小さいらしいから、がっかりしないようにイメージを作っておこう」と繰り返していたので、あまりがっかりせずに済みました。確かにあのサイズの絵画にあれだけたくさんの観光客が集まれば、遠くからしか見えないのは仕方ないですね。

ルーブル美術館にも作品の説明書きが付いていました。このときばかりは私たち家族はお手本のような観光客でしたから、不自由な英語とにらめっこして、なんとか作品の意義や背景を理解しようと熱心に説明書きを読み込みました。もはや絵画そのものを見ている時間よりも説明書きを見ている時間の方が長いというような、おかしな事態になっていたかもしれません。結局巨大なルーブル美術館にすべてを1日で周ることなど出来るはずもなく、私たちはたくさんの英語を読んで疲れ切ってしまい、途中から飽きてしまった妹は退屈のあまりいじける始末。落ち着いた、穏やかで知的な空間であるはずの美術館ですが、私たち家族はちょっと頑張りすぎてしまったようでした。一生懸命読んだ説明書きも、拙い英語のせいか、内容が難しいせいか、ほとんど頭に残りませんでした。

その後は、ルーブル美術館を出てセーヌ川沿いを歩き、小さな可愛い個人店でチョコレートを買って、家族で食べました。カカオにフランスのイメージはないのに、どうしてチョコレートとなるとちょっとフランスっぽい気がするのだろうと不思議に思いながら食べたことを覚えています。妹は甘いチョコレートにすっかり機嫌を取り戻し、その後も私たちのパリ観光は概ね満足できるものになりました。

美術館と聞くと、そんなルーブルでの体験を想起する私は、今回久しぶりに訪れたこの美術館では過去の反省を生かそうと思いました。説明書きなどは参考程度に流しみればよいのです。そういう作品の時代や作者や意義などというものはお勉強として、興味が出てきたときに改めて調べればそれで足ります。美術館ではこの空間と、何よりも作品自体をぼんやりと眺めていればよいのだと思います。絵画や彫刻を見ることで自分の中に浮かんでくる考えやイメージを自由に歩かせてあげればそれで十分。気が付けば全然関係のないことを考えていたりもしますが、まあそれはそれでよいのかな、と。もしかするとそういう時こそ作品の作り手の交信できているかもしれません。

そんな調子で美術館を歩き回り、ぼうっと考えを巡らせていると、最後から二番目の部屋に左奥にひっそりと展示されている一枚の絵画が私の目を引きました。手前に浜があって、左手奥に岩がごつごつとしたちょっとした丘があり、広く描かれた海の上には赤い太陽が浮かんでいました。絵画のタイトルには『ギリシャの浜辺』と書かれていました。作者不詳。私がこの絵画に惹かれたのは、別に芸術的な美しさに感銘を受けたとか、技術の高さに目を見張ったとか、そんな高尚なものではなく、もっと単純で個人的な理由からでした。私はこの絵画に描かれた景色を知っていたのです。なんとなく親近感を感じて眺めてみましたが、『ギリシャの浜辺』というタイトルで思い出しました。そう、これはギリシャの浜辺。私が実際に訪れて、あの少女と出会ったあのギリシャの浜辺ではありませんか。

あれは私が大学生の頃でした。就職活動を終えて授業もほとんどない、社会人になる直前、すべての学生が最後の自由を謳歌するあの期間です。比較的真面目だった私は卒論も早々に描き上げ、アルバイトで貯めていたお金もまとまってきて、最後の自由を楽しむには時間もお金も十分にありました。しかし秋口になって大学一年の秋から三年間ほど付き合った恋人から突然別れを告げられてしまったのです。初めてできた恋人で、私は彼が大好きでしたから、当時はひどく落ち込みました。彼と離れてしまっては、就職先が決まった安心感も、卒論を終えた達成感も、時間的な自由を得た解放感も、すべてが吹き飛んで、何もかもが灰色になってしまったようでした。彼には別に好きな人ができたわけでもなく、進路の都合で遠くに行ってしまうなどの事情があるわけでもありませんでした。しかし、向上心があり、活動的で、優しい彼でしたから、忙しい生活に追われる彼の中で私を大切にしきれていないというモヤモヤがあったらしいのです。私はそれで少し寂しい思いをしたことは確かにありましたが、そんな関係でも私にとっては愛おしいものでした。それで十分幸せだと思っていました。いや、私は自分にそう言い聞かせていたのです。

彼はそんな私の小さな我慢を見逃してはくれませんでした。そしてその我慢を解決してあげられないということに彼は自分で気が付いて、ならばと、私に別れを切り出したのです。勝手に気づいて、勝手に考えて、勝手に決めて。

「勝手にそんな優しくしないでよ。」

別れ話のときに私が言った言葉は、なんだか何もかも矛盾しているようでした。それを聞いた彼の表情はとても苦しそうで、申し訳なくなってきた私は、ついには自分から謝ってしまいました。

彼は優しすぎたのかもしれません。そんな優しさが好きだったのだけれど。こうやって別れてからずいぶん経って思い出してもまだ「優しすぎた」なんて言ってしまう私もどうかと思いますが、そう言わせる彼も彼です。

彼との別れがあって、自由を満喫するはずだった時間はかえって辛いものになりました。同じことが頭を堂々巡りして、暇な時間が長ければ長いほど、それが私を苦しめるのでした。こういうときに時間に追われる忙しさがあれば少しの間は忘れることができるのにと、就活や卒論に忙しくしていたころの自分が羨ましくなりました。

とにかく当時の環境から抜け出せないといけないと思った私は、安直に海外旅行に行こうと思い立ちました。彼にフラれて、傷心ひとり旅。あまりにベタですが、ベタにはベタとしての地位を確立したなりの理由があるのだということは、パリが教えてくれたとおりです。お金も時間もあります。就職したらそんなことはなかなか出来ないはずだし、やっぱりベタなアイデアとは良いアイデアなのだと得心していました。パリに行って以来、ヨーロッパに良いイメージを持っていた私は今回もヨーロッパに行くことに決めました。タイや中国も楽しそうでしたが、これらの国は日本から近いので社会人になってからでも連休を使っていけそうな気がしたのです。ロンドンやローマやベルリンはとても魅力的に思えましたが、どうもパリと同じ西洋にあるというのが気にかかりました。せっかく行くのなら、少し趣が異なる土地を見ていたいと思ったのです。それから、パリは内陸だったので今回は海が見たいとも考えました。そうなると私の心を掴んだのは地中海です。地中海料理は日本でも馴染みがありますし、「地中海」という一見矛盾した字面が私のロマンを掻き立てました。西洋ではないヨーロッパで、地中海が見える場所。そうして白羽の矢が立ったのがギリシャでした。私が当時22年間生きてきて知っていた限り、この条件にあう中で一番ベタな観光地がギリシャでした。エジプトとも迷いましたが、まずエジプトはヨーロッパではないということ。そして当時テレビのニュースで、エジプト国内でテロが起きたというのがやっていて、観光地は安全と聞きましたが、やはり女ひとりで行くのは怖い気がしました。

このときはそれほど元気もありませんでしたし、パリの件を思い出してあまり肩に力を入れすぎるのもどうかと考えたこともあり、ひとりでのんびりと観光することにしました。ギリシャといえばなんといってもアテネにある古代ギリシアの遺跡です。歴史に関心が薄い私でもパルテノン神殿くらいは知っていました。一応大学受験でも世界史を勉強したので、古代ギリシアではソクラテスやアリストテレスなどに知られる哲学が盛んに行われたことや、ペルシア戦争という大きな戦争があったこと、古代オリンピックが行われていたこと、アレクサンダーという大王がいたことくらいはなんとか記憶に残っていました。ただこれらの無機質な情報がギリシャの観光地を楽しむのにどれほど役に立つのかはよくわかりませんでした。結局今こうして美術館でなんの知識もなく作品を眺めていても感じることがあるように、古代の遺跡を形作る石材の冷たさを肌に感じていればそれで良いと当時も思っていました。あと私がギリシャについて想起することと言えば、普段は「ギリシャ」と書くのに、なぜか高校の歴史の授業で先生は「ギリシア」と書いていたことくらいです。確か教科書でも「ギリシア」と書かれていたと思います。何故だろうと思いましたが、古代の話をしているときには「ギリシア」と書くことにしているのだろうということで納得することにしました。この間テレビでやっていたサッカーの親善試合では、日本代表に対して「ギリシャ代表」と書かれていたので、これを証拠として得心しておきます。だから、現代に生きている私もギリシャというときは心の中で「ギリシャ」という文字を思い浮かべています。

ともかくアテネの古代遺跡には行くとして、それ以外にはあまり情報を入れずに飛行機に乗ってしまいました。旅番組で観たことのあるメテオラという修道院群や、よく雑誌の表紙になっているサントリーニ島などの観光地も多少は気になりましたが、着いてから考えても遅くはありませんでした。

無事アテネに着いた私は、早速パルテノン神殿や考古学博物館で古代ギリシアを物色しました。しかし現代っ子の私には、古代ギリシアの遺跡よりもその周囲にある観光客向けのマーケットの方がずっと面白く感じました。オリーブの木で作った雑貨の専門店ではあまりの可愛さに長居し、ロクに文章も書かないくせに30ユーロの万年筆を買ってしまいました。高校生になっていた妹には写真立てを買いました。ギロというケバブのような食べ物もギリシャらしくヨーグルトの風味がお肉をさっぱりさせて、とても美味しくて気に入りました。こういう時間は別れた彼のことが頭から離れるので、やっぱりきて良かったなあと思ったものです。

2日ほどアテネに滞在した私は、そろそろ別の場所に移動することにしました。といっても特に行く当てがあるわけでも、決まった予定があるわけでもありません。パルテノン神殿の丘から遠くに地中海が見えたのを思い出し、私はとりあえず今回の旅の目当てのひとつであった海を見に行くことにしました。地中海の中でギリシャやトルコ周辺の海はエーゲ海と呼ばれるそうです。確かに聞いたことがある名前ですが、地理に詳しくない私は地中海とエーゲ海が同じ海とは知りませんでした。まあ、これもあくまで人間がつけた名前の問題です。陳腐な言い回しですが、すべての海は繋がっているわけです。だから細かい区別はひとまず置いておいてよいと思います。美術館の作品よりも説明書きに注意を向けるのと同じで、海そのものを感じにいくというのにその名前にこだわりすぎるのは、ちょっと損な気がします。美しい海が目の前にあり、私がそれを五感で楽しむなら、名前は重要ではありません。

別の街に行く列車はアテネの中心地から北に外れた駅から出ると聞きました。次の日、私はリュックサックにノートと買ったばかりの万年筆と飲み物をいれて、海の方に向かい列車に乗り込みました。ギリシャの丘にはあまり木が生えておらず、白っぽい山肌の景色が続きました。やがて列車は終点に着き、車掌さんに降りろとジェスチャーされ、私は知らない街に降り立ちました。田舎の駅という感じで、駅前にもちらほら個人店がある程度で特に栄えている様子はありませんでした。

海の匂いがしたので、着た場所は間違っていないようでした。駅のロータリーの立て看板に書かれていた地図を見ても海まで10分ほどで歩けそうでした。お腹が空いていた私は駅前でおじさんがひとりで切り盛りしているレストランに入り、お肉の串焼きのようなものとサラダとパンを食べました。アテネの街でよく見かけた料理だったのでギリシャ料理かなと思って注文したのですが、食べ始めてから少し肉にも飽きてきたな、と気が付きました。せっかく海沿いにいるのだから海鮮料理をいただけばよかったかもしれません。

腹ごしらえを済ませた私は海へ向かいました。寄り道するようなお店もなかったので、すぐに浜辺に着きました。浜辺沿いにはいくつかお店があり、駅前よりもむしろ活気がありそうでした。左右を岩山に挟まれた浜辺で、300メートルくらいはビーチとして整備されていました。ビーチに沿うように走る車道との間には1メートルくらいの厚さの灰色の壁があり、高さは車道側から見たら私の腰の高さもないくらいで簡単に飛び乗れるものでした。地元の人の思われるいくつかのグループが、その壁の上に並んで座って、海を眺めていました。車道沿いにはレストランやお土産屋さん、バイク修理店などが数店並んでいました。

これが地中海かと少し感慨深くなった私が浜と海に見惚れて歩いていると、不注意にも前に立っていた少女にぶつかってしまいました。灰色と黄色が混じったようなロングヘアーに青い瞳、白いワンピースを着て、真っ白な肌は驚くほどきめ細かく、まるでおとぎ話から出てきたような美しい少女でした。年は私より少し下で、妹よりは少し上くらいに見えました。

「あ、ごめんなさい! いや、ソーリー!」

思わず日本語で謝ったあとに急いで英語で言い直したものの、ギリシャ語がわかるわけではないのでこれで通じているのか不安でした。日本人の性なのか、手を合わせてみたり、ペコペコ頭を下げてみたりしてなんとか謝罪の気持ちを伝えようとしました。というのも、私がぶつかったせいで彼女が食べていたアイスクリームが地面に落ちてしまったからです。

彼女はギリシャ語と思われる言葉で「気にしなくていいよ」といったそぶりを見せて笑いました。それから何か私に尋ねるように言葉を繋ぎましたが私にはさっぱり言っていることがわかりませんでした。ただ怒ってはいないことと、私に何らかの興味を持っていることはわかりました。知らない言語に焦った私は、

「えっと、ごめんなさい!本当に!全然何話してるかわからないので・・・すみません・・・!」と言って、落ちたアイスを指さしながらひとしきり頭を下げて、逃げるようにその場を離れました。

実は歩きながら、いつか彼とも一緒に浜辺を歩いたなあということを考えていました。そんなことで周りが見えなくなって人様に迷惑をかけるとは、いったい何のためにひとりギリシャまで来たのかわかりません。アテネの中心地のような五感から入ってくる情報が多い観光地では、物珍しさや楽しさで夢中になれますが、この浜辺のような少し落ち着いたところ来ると、すぐに私の思考回路は彼のことに奪われてしまうみたいでした。

それにしても先ほどの少女は本当に美しく、あの美しさをもう少し見るためだけにも来た道を引き返したくなるほどでした。また、彼女は見た目が美しいだけでなく、アニメのヒロインが持っているそれのような、独特の雰囲気をたたえてもいました。

別れた彼のこと、ぶつかった少女のこと、落ちたアイスクリームのこと。

海まで来たのにまるで海を感じていない自分に気が付き、これなら地中海とエーゲ海、それぞれの定義について考えながらでも海を見ている方がマシかもしれないと思いました。

しばらく辺りを散策していると、小さなアイスクリーム屋さんを見つけました。先ほどの少女はここでアイスクリームを買ったに違いないと思いました。確か落ちたアイスクリームはチョコレートだったはずです。私はジェスチャーを駆使して店主にチョコレートとココナッツのダブルと、チョコレートとストロベリーのダブルを注文しました。

急いで少女とぶつかった場所に戻ると、彼女はまだ同じ場所に居て海を眺めていました。彼女がいるだけで、その浜沿いの道は絵画や映画の中の景色のようでした。両手にアイスクリームを持った私は彼女に話しかけました。

「あの、さっきはごめんなさい!チョコレートはどっちも入っているんだけど、ココナッツとストロベリー、どっちがいいですか?ココナッツ オア ストロベリー」

彼女は目を見開いて私と両手のアイスクリームを見つめた後、天使のような笑顔になってチョコレートとストロベリーのダブルを受け取りました。

「サンクス」と言って、彼女は車道と浜を隔てる壁に飛び乗ると、浜辺側に足を投げ出して腰を掛けました。彼女の真っ青なサンダルと白い浜辺のコントラストが美しく、その爽やかな色合いはギリシャの国旗のようでした。雑誌で見たサントリーニ島の写真もそうでしたが、私にはギリシャと言えば青と白だというイメージがあります。少女の白い肌と青い瞳、白いワンピースと青いサンダルは、私のイメージするギリシャの美しい少女そのもののようでした。

「ドゥー ユー スピーク イングリッシュ?」

私が彼女に尋ねると、彼女は顔をクシャっとして「ノー!」と言いました。

私も同じように聞かれたら同じように「ノー」というだろうなと思いました。こんなに愛らしくはならないけれど。

「英語はわかりますか?」「わかりません」というやり取りが英語で行われるのはおかしな話ですが、こんな会話が自然に起きるほど英語は世界に浸透しているということなのでしょう。

少しでも意思疎通ができる可能性があった言語が使えないとなると、いよいよ私たちには会話の術はありません。どうしようか、お詫びもできたことだしここらへんで、と私が思っていると、少女はなんの屈託もなくギリシャ語で私に話しかけ、彼女の隣をポンポンと手でたたきました。並んで座ろう、一緒に食べようと言っていることは明らかでした。

少女に好感を抱いていた私に、この誘いを断る理由はありません。隣に腰を下ろすと、少女はペコリと頭を下げました。私がさっきペコペコとお辞儀をしていたので、これが礼儀の示し方か挨拶のジェスチャーと思ったようです。少女はその後も、容赦なくギリシャ語で話しかけてきました。何と言っているのかわからないので、とりあえず「ジャパン、ジャパン」と自分を指さして言ってみると、彼女は「ジャパン!」と嬉しそうに繰り返して、サムライのように刀を振る仕草をしました。実は話が通じているのではないかと思って、私は楽しくなってきました。

まあわからなくてもいいかと思い、私は少女が話すギリシャ語を心地よく聞いていまいた。意味がわからなくても、彼女が嬉しい話をしているのか、悲しい話をしているのか、楽しく話をしているのか、無理に話をしているのかはなんとなくわかりました。

そうしながら私たちはストロベリーとココナッツのアイスクリームを交換し合ったり、お互いの髪を触り合ったりして、だんだんと打ち解けてきました。少女は私の髪を指さして頻りに触りたがりました。ここでは黒髪は珍しいのかなと思いました。私の中ではギリシャ人は割と暗い髪の色をしていて、少女のような明るい髪色のほうがむしろ珍しいというイメージを持っていたのですが、実際のところはどうなのでしょう。島国の日本と違って、ヨーロッパや中東の人が入り乱れるギリシャのような土地のことはよくわかりません。

私の髪を手に取って、見惚れるように撫でたりこすったりする彼女を見ていると、私の方が照れくさくなりました。こんなに美しい少女が私の髪に憧れるなんておかしな話です。私もお返しに少女の長い髪を触らせてもらいました。キラキラ光る明るい髪色に目を奪われ、この髪が良く似合う彼女は本当に美しいと改めて思いました。

ギリシャ語で語り続ける少女は、時に恋するように頬を赤らめ、時に怒るように語気を強め、時に悲しむように視線を落とし、時に嬉しそうに言葉を弾ませました。見知らぬ私にどうしてこんなに話すことがあるのだろうに不思議で仕方ありませんでしたが、彼女の語り口は心地よかったので、つい笑顔で聞き続けてしまいました。

ひとしきり話した後、少女は自分ばかりが話していることが気になったようで、私に話すように促しました。

「何を話せばいいの?」と私が首をかしげると、少女は

「エブリシング、エブリシング!」と英語で答えました。やっぱり実は話が通じているのでは、と私はさらに嬉しくなりました。なんでもいいから話して、ということを少女は言いたいのだろうと思いました。

特に話すことが思い浮かばなかったので、日本を出てからギリシャに着いてここにくるまでに何をしたかを話すことにしました。出来るだけジャスチャーを交え、表情や言葉に抑揚を出して話すようにしました。アテネで買ったオリーブの木の万年筆もリュックから取り出して見せました。少女はそれを手にとって「可愛い!」と言いました。もちろん実際にそういう意味の言葉を言ったのかどうかはわかりません。ただ日本語であれば「可愛い!」というときの気持ちを少女が抱いていたことには確信できました。これまで日本の友達と数知れず言い合ってきた可愛さへの共感。それと同じものが、彼女との間にも確実にあったのです。それくらい少女と私の心には互いに通じ合っている感触がありました。

どうも運命めいた表現になってしまいますが、実のところ人間同士というのは言語を介さなくても互いに分かり合えるものなのかもしれません。普段はそのような関係が語られるのはフィクションの中であったり、音楽やスポーツでの交流を通した美談であったりするので、何か特別なことのように思えます。でも、実際には普通のことなのだと思います。言葉が通じる同士でもどちらかに悪意や画策の意図があれば関係はうまくはいきません。一方で言葉が通じなくもお互いが信頼と友好の意を持って接する態度を惜しまなければ、関係は生まれるのでしょう。

私の話す内容の多くはきっと少女には伝わりませんでした。しかし彼女は私が話している間、度々私の目を覗き込むように見つめ、その優しく丁寧な眼差しだけで、「十分だ」と私は思いました。

次第に私の話は、どうしてギリシャに来ることになったのかという内容に移りました。ここまでくると、彼の話を出さないわけにはいきません。昼が夕方に変わろうとしていました。浜辺に居る人は先ほどと顔ぶれが変わり、少し人数も減り始めているようでした。高く浮かんでいた太陽が、朱色に染まって海へ近づいていきます。私の沈黙を読み解いたように少女は私の背に手を当てて、どこか悲しそうに微笑みました。

その微笑みで私は「もういいや、全部この人に話してしまおう。」と思いました。どうせ少女には具体的なことは何も伝わらないのです。だから余計な言葉をもらうこともありません。たとえ彼女が何かを言っても、それが私にもわからないのですから。それでも彼女はきっと私の話を丁寧に聞いてくれます。何もわからなくても、声の弱さや、視線の頼りなさや、表情の震えや、触れた手の温度から溢れ出る私の想いを、きっと彼女は丁寧に拾い集めて受け取ってくれます。それだけで私にとっては十分でした。それだけで十分だったのに、こんなところにひとりで来るまで、誰にもそれを求めることができないでいたのです。

ひとこと、ひとこと。話すたびに私の気持ちは加速し、際限なく零れ落ちて、自分の中にこれほどの捉えどころのない想いがあったことに自分で驚くほどでした。大好きだったはずの彼に対する文句や不満。自分でも知らなかった気持ちが意志に反して言葉になっていきました。それを恐ろしいとさえ思いました。そのすぐ後には、どれだけ彼が優しくて素敵な人だったかを語り、自分に別れを告げたのも彼の優れた人間性ゆえの判断だったんだと、直前まで貶していたはずの彼を正当化する始末。自分でも言葉にしている意味そのものが、自分の本当に意味したいこととずいぶんかけ離れていることに気が付いていました。だから、少女に私の言葉がわからなくて良かったと安堵していました。同じことを日本語がわかる友達に話したら呆れられ、怒られ、イライラさせてしまったと思います。自分でも自分に呆れるほど、私が話していることは支離滅裂でした。でも、そういう言葉でしか私の中にある気持ちを吐き出すことは出来なかったのだと思います。私の喉から言葉が飛び出て、それが少女の鼓膜に届くまでの短い距離。この数十センチを泳ぐ間に、言葉はすべての意味を失って、少女に届くのはその音に乗った私の感情だけでした。形は空気に溶けて消え、伝わるのはその温度だけ。しかし、そのときに私が彼女に受け止めてほしいと望んだのは、意味ではなく感情で、形ではなく温度だったのです。

このときの私の表情は、変幻自在に踊った少女の表情以上にコロコロと変わっていたと思います。悔しいのやら、寂しいのやら、悲しいのやら、腹立たしいのやら、よくわからないうちに私の目からはたくさんの涙がこぼれてきました。しかしその涙の一部は、少女が私の話を聞いていてくれる喜びや、これまで内に秘めて張りつめていたものを吐き出したことによる安堵の涙でもありました。少女の青い瞳も薄っすらと涙が浮かんでいました。彼女が私の話から何を想像したのかはわかりません。話を終えた私を、彼女はただ抱き締めてくれました。

少女は私たちが腰かけていた壁から浜辺に飛び降りると、ギリシャ語で「一緒に来て」と言いました。私に向かって伸ばされた少女の手を取って、私も浜辺に降りました。手を繋いだまま少女に引かれて浜辺を歩き、私たちは浜辺の終わりにある岩山に足をかけました。

「上に登ろう。トゲトゲしているから気を付けてね。」

彼女はそう言って、地元の子供たちが往来することでできたであろう、岩山の登頂ルートに入りました。彼女が岩のトゲを指でツンツンとしながら上を指さして私に語りかけたので、なんと言ったのかわかったのです。岩山は幅が広いけれど高さは20メートルほどしかなく、足場が整っているなだらかなルートを選んでも数分で登り切れる程度のものでした。登り慣れているとはいえ、サンダルの少女がスニーカーの私よりもスイスイと登っていくので驚きました。

頂上はちょっとしたスペースになっていて、多少の植物も生えており、風が通って気持ちの良い場所でした。右手には先ほど歩いてきたビーチが見下ろせ、左手にも先ほどの場所からは隠れていた別のビーチが見えました。そして何より、正面には地球が丸いことがわかるほどに広く地中海が臨めました。点々と沖合に浮かぶ島が見えました。少女と私は頂上に腰かけて、一緒に海を眺めました。波は穏やかで、夕刻に赤くなった太陽が空と海を赤く照らしていました。

少女はまたギリシャ語で何か私に語りかけ、笑ってピースサインを作りました。

「大丈夫」「頑張ったね」「元気出して」「それでいいんだよ」

都合の良い解釈をするしかないのですが、それでいいのだと思いました。私も「大丈夫、ありがとう」という意味でピースサインを返しました。私の表情がそう言っているようには見えなかったからでしょう、少女は英語で「スマイル!」と言いました。なんだかそれがおかしくて、私は笑いました。

「暗くなるとまずいから降りよう」と私から立ち上がり、私たちはまだ夕陽が水平線に触れる前に岩山から下りて浜辺に戻りました。浜辺を歩いているときにふと、岩山と海のほうを振り返ったのを覚えています。

私が知っていたのはそのときの景色です。今、目の前にある『ギリシャの浜辺』という絵画におさめられた景色は、まさに私がその時に見た景色でした。あのとき浜辺で振り返ったことさえ、この絵画を見る今の今まですっかり忘れていました。どれだけの時間この絵画を眺めていたのかわかりませんが、私の頬には涙が乾いた痕が感じられたので、それなりの時間が経っていたと思います。あれ以来、ここまで鮮明にあの少女との時間を思い出したことはなかったかもしれません。

時計を見ると、もうお昼を過ぎています。結局あの後のギリシャ旅行では、どこを観光したのか、無事に海鮮料理を食べることができたのか、あまり覚えていません。もう5年も前のことになります。

この美術館は結構な都会にありますから、もしかしたら近くにギリシャ料理のお店もあるかもしれません。私がギリシャから戻ると「ひとりで外国に行くなんてお姉はすごい!」と言ってさらに懐いてきた妹は現在は都内で大学院に通っています。オリーブの木の写真立てもずいぶん気に入ってくれました。ギリシャ料理に行くといってお昼に誘ったら出てきてくれないかな、と期待して連絡を入れました。

美術館の順路に従い最後の部屋の展示を見て、出口近くのギャラリーショップに入りました。美術館公式の本をひととおりめくりましたが『ギリシャの浜辺』は掲載されておらず、ポストカードのコーナーにもそれは見当たりませんでした。

美術館を出て、駅と直結した公園の入り口で待っていると期待通りの応答をくれた妹がやってきました。

「お姉、久しぶり!誘うならもっと前もって教えてよ。」

「ごめんごめん、そこの美術館にいたんだけど、ひとりでギリシャに行ったことをふと思い出したの。覚えてる?」

「覚えてるに決まってるじゃん!あの写真立て買ってきてくれたところだよね。急にひとりでギリシャに行くなんて言い出したから驚いたもん。今日はギリシャ料理に行くんだよね、お姉が前に言ってたヨーグルト風味のサンドイッチみたいなヤツ?あるかなぁ!すごくおいしかったって言ってたから気になってたんだよねー。」

「それ、ファストフードみたいな感じだよ?レストランで食べるって感じのものじゃないからあるかどうか・・・」

「えー、そうなんだ。まあ、行ってみてから考えればいいよね。今日はごちそうさまだね!」

なんとなく美術館に来てみたおかげで、なんだかとても良い休日になりそうです。妹とは本当に仲が良く、いつも助けられています。それも、あのギリシャの少女のおかげなのかもしれません。彼との別れを乗り越えた後も、何度か辛い想いや苦しい想いをしたことはありました。そういう時に頼る誰かが必要で、わけのわからないことを言うかもしれないけどただ聞いてほしいんだと甘えられる相手として、私に身近で一番信頼できるのは妹だったのです。そういうお願いをするのが必要なこともあるというのは、ギリシャの少女との交流から教わったことだという気がするのです。

そういえば『ギリシャの浜辺』から離れる前に説明書きのパネルをちらりと見てみましたが、作者不詳の下には何の説明書きもありませんでした。私がたくさんのことを感じ取ることができたのは、その沈黙のおかげかもれません。

ABOUT ME
ささ
25歳。 副業で家庭教師をやっているので教材代わりのまとめや、世界50か国以上旅をしてきて感じたこと・伝えるべきだと思ったこと、ただの持論(空論)、本や映画や音楽の感想記録、自作の詩や小説の公開など。 言葉は無力で強力であることを常に痛感し、それでも言葉を吐いて生きている。 ときどき記事を読んでTwitterから連絡をくれる方がいることをとても嬉しく思っています。何かあればお気軽に。