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【イスラーム史】総勢40人!試験に出るイスラーム王朝支配者の一覧まとめ【カリフ・スルタン・アミール他】

Contents

この記事でわかること

  • 大学受験の試験に出る”イスラーム王朝の支配者”の名前
  • 取り上げる各支配者について押さえておくべき事項
  • 覚えるべき支配者があるイスラーム王朝の簡単な解説

参照しているのは下記の図説資料集。各支配者についてのコメントは僕のこれまで学習してきた知識と実際中東に足を運び行ってきた聞き込みによるものが多いので、出典はもはや不明です。

ちなみに中国皇帝編はこっち。(当ブログ屈指の人気記事ですよ。)

ムハンマド時代

イスラーム教の始祖であるムハンマドウンマと呼ばれる共同体としてイスラーム教徒を統べた時代。

ムハンマド

もちろんムハンマド時代の支配者はムハンマド。最後にして最大の預言者。

  • メッカを支配していたクライシュ族ハーシム家に生まれた商人
  • ザンツ帝国とササン朝の抗争によりシルクロードが断絶。代わりに商業ルートとして発展したアラビア半島では貨幣経済が浸透し貧富の差が拡大。部族伝統が崩壊し社会矛盾が生じていた。
  • 40歳の時、洞窟で瞑想中に唯一神アッラーから啓示を受ける。
  • 622年聖遷(ヒジュラ)を行い、メッカからメディナ(ヤスリブ)に移る。(イスラーム暦元年)
  • 630年メッカを占領しアラビア半島統一
  • 632年病没

正統カリフ時代

ムハンマドから受け継がれた正統カリフの時代。ムハンマドの教えが順守され、カリフには後継者に相応しいものが正しく選出され、ジハード(聖戦)によって教団の領土は拡大しました。

4代目アリーが暗殺されて以降はウマイヤ朝でカリフの世襲が開始され王朝となります。一方ウマイヤ朝の正統性に反対する一団がアリーをムハンマドと同等かそれ以上に重要視するシーア派を形成。イスラームは分裂しながらもその影響力は文字通り世界規模に膨らんでいきます。

アブー=バクル

  • 初代正統カリフ

ウマル

  • 2代目正統カリフ
  • シリアを併合
  • 642年ニハーヴァンドの戦いでササン朝を破る

ウスマーン

  • 3代目正統カリフ
  • 『クルアーン』の編纂が開始され、原型が完成する

アリー

  • 4代目にして最後の正統カリフ
  • 彼が暗殺されて以降ウマイヤ朝の正統性を認めない集団によってシーア派(シーア=アリー)が形成される

ウマイヤ朝

カリフが世襲となりはじめて成立したイスラーム王朝。支配はアラビア半島から正統カリフ時代に併合した中東地域を飛び出し、北アフリカとそれまでキリスト教世界だったイベリア半島を含む広大に範囲に及びました。アレクサンドロスの帝国以来の巨大な世界帝国といえるほどの大きさでした。

ムアーウィヤ

  • ウマイヤ家の当主で元シリア総督
  • ウマイヤ朝初代カリフ。以降カリフの世襲を開始
  • アリーの生前はムアーウィアとアリーは激しく争った

アッバース朝

イスラームの信仰のもとの平等という精神に反しアラブ人を優遇して「アラブ帝国」とも揶揄されるウマイヤ朝を倒すことで生まれた王朝。カリフはアッバース家によりで世襲。税制改革などを通して、民族を問わないムスリム平等主義を実現し「イスラーム帝国」と呼ばれます。ウマイヤ朝と同様広範を支配した世界帝国。

アブー=アル=アッバース

  • アッバース朝の初代カリフ。
  • シーア派の不満を利用してウマイヤ朝を打倒するもアッバース朝成立後はシーア派を弾圧
  • 751年タラス河畔の戦いで唐に勝利。このとき中国の製紙法が西伝

マンスール

  • アッバース朝2代目カリフ。
  • 762年新都バグダードを建設

ハールーン=アッラシード

  • アッバース朝5代目、全盛期のカリフ
  • フランク王国カール大帝との交流の記録がある。
  • イスラーム文化の最盛期
  • 『千夜一夜物語』に登場

後ウマイヤ朝

イスラーム世界の覇権がウマイヤ朝からアッバース朝に移って以後、ウマイヤ朝がイベリア半島に逃れて建てた王朝。首都のコルドバは世界的な文化都市として繁栄。イスラームの内部分裂を契機にキリスト教世界のレコンキスタにさらされ衰退しました。

アブド=アッラフマーン3世

  • 後ウマイヤ朝全盛期のカリフ
  • 3カリフ鼎立時代の西カリフ

セルジューク朝

中央アジアに成立したトルコ系イスラーム王朝で、西に移動したのちブワイフ朝を滅ぼしバグダードに入城。スンナ派の勢力を巻き返しました。アッバース朝からスルタンの称号を得てイスラーム世界の中心となります。

トゥグリル=ベク

  • セルジューク朝創始者(1038年)
  • バグダードに入城(1055年)し、ブワイフ朝を倒す。スルタンの称号を得る。

マリク=シャー

  • セルジューク朝全盛期の支配者。
  • 宰相のイラン人ニザーム=アルムルクが活躍。ニザーミーヤ学院を開き、イクター制を整備した。
  • 『ルバイヤート』の作者ウマル=ハイヤームが活躍。
  • ニザーミーヤ学院教授のガザ―リーが活躍。後にイスラーム神秘主義(スーフィズム)を確立。

ガズナ朝

アフガニスタンに興ったトルコ系イスラーム王朝。カイバル峠を超えてインドに入った最初のイスラーム王朝でした。

マフムード

  • ガズナ朝全盛期の支配者。
  • インド北西のパンジャーブ地方に進出。
  • イラン文化を奨励し『シャー=ナーメ』の作者フィルドゥシーを保護。

奴隷王朝

インドに興った最初の本格イスラーム王朝。ゴール朝の奴隷兵士であったアイバクが建てた王朝なので奴隷王朝と呼ばれます。都はデリー。後に続くハルジー朝、トゥグルク朝、サイイド朝、ロディー朝とまとめて「デリー=スルタン朝」と呼ばれます。

アイバク

  • 奴隷王朝初代スルタン
  • ゴール朝の奴隷兵士(マムルーク)出身

アイユーブ朝

十字軍や内部対立で弱体化していたファーティマ朝に宰相として任ぜられたサラーフ=アッディーンによって建国。北アフリカにてスンナ派の信仰を回復し、さらに十字軍を討伐して聖地エルサレムやシリアまで版図を広げました。

サラーフ=アッディーン(サラディン)

  • クルド人武将で、アイユーブ朝の建国者
  • 十字軍を撃退し聖地エルサレムを奪回
  • エルサレムへのキリスト教徒巡礼を認めるなど、支配地でも寛容な政策をとり、ヨーロッパ世界でも尊敬を集めた。

マムルーク朝

マムルークとはイスラーム世界におけるトルコ系軍人奴隷のこと。奴隷といっても自由奔放傭兵さながらパワフルな存在だったらしいです。前述のアイユーブ朝が十字軍を撃退するときに活躍したマムルークですが、冷遇が続いたためクーデターを起こしアイユーブ朝に変わるカイロの支配者となりました。滅亡したアッバース朝のカリフを保護(カリフ位の禅譲)し、世界最強のモンゴルをも撃退、メッカとメディナを支配下におさめるなど、名実ともにイスラーム世界の中心勢力となりました。
16世紀に入ると衰退し、1509年ディウ沖海戦でポルトガル海軍に敗れ、1517年にオスマン帝国セリム1世により滅亡しました。

バイバルス

  • マムルーク朝の英雄、5代目
  • 十字軍とモンゴルを撃退

イル=ハン国

モンゴル帝国から独立したウルス(国家)。建国者はチンギス=ハンの末子トゥルイの子で、モンゴル帝国4代ハンのモンケの弟であるフラグ。フラグは試験に出る支配者ですがイル=ハン国がイスラーム化する以前の支配者なのでここでは取り上げません。

ガザン=ハン

  • イル=ハン国第7代で、国をイスラーム化、イラン化した。
  • 『集史』の著者でイラン人のラシード=アッディーンを宰相に登用。
  • イラン=イスラーム文化が栄えた。

ティムール帝国

モンゴル帝国から出たチャガタイ=ハン国が東西分裂してできた西チャガタイ=ハン国から生まれたトルコ=モンゴル系の帝国。1370年に建国され中央アジア一帯を支配する帝国になりました。インドのデリー=スルタン朝や西のオスマン帝国、エジプトのマムルーク朝などを圧迫。チンギス=ハンのモンゴル帝国の継承国家という意識も持ちつつもイスラームを受容しトルコ=イスラーム文化を繁栄させました。

ティムール

  • ティムール帝国の創始者。
  • アミールを称しイスラーム教スンナ派の国家を建設。
  • サマルカンドをチンギス=ハンの破壊から復興。
  • イル=ハン国、キプチャク=ハン国を圧迫し領土拡大。
  • 1402年アンカラの戦いでオスマン帝国を破る。

シャー=ルフ

  • ティムール帝国の3代目君主。
  • ヘラートに遷都しティムール死後の混乱を収拾し、ティムール帝国の安定期を実現。
  • 明(永楽帝)との関係を修復するなど平和外交を展開。

ウルグ=ベク

  • ティムール帝国の4代目君主。
  • サマルカンドに天文台を建設。
  • トルコ=イスラーム文化が発展。

サファヴィー朝

1501年イスラーム神秘主義(スーフィズム)のサファヴィー教団のイスマーイー1世がイランに建国し、シャーを称しました。シーア派の十二イマーム派を国教とし、現在まで続くイランのシーア派信仰の系譜を創始。

イスマーイール1世

  • サファヴィー朝の創始者。都はタブリーズ
  • シャー(国王)の称号を使用。
  • トルクメン人の騎兵集団ギジルバシュを軍事力として組織。
  • シーア派12イマーム派を国教化。
  • 1514年チャルディラーンの戦いでオスマン帝国セリム1世に敗れる。

アッバース1世

  • サファヴィー朝全盛期のシャー。
  • 新都イスファハーンを建設。「イスファハーンは世界の半分」と呼ばれる繁栄を実現。
  • 中央集権体制を確立し、銃兵隊・砲兵隊を創設し政治と軍事を強固に。
  • ポルトガルからホルムズ島を奪回

オスマン帝国

1299年から1922年まで存在したトルコ系イスラーム帝国。最盛期には北アフリカ、中東、トルコ、黒海北岸、ヨーロッパ世界までをも飲み込む巨大国家となりました。帝国内で支配下の多民族に対して寛容な政策をとり、柔らかい専制を維持。第2次ウィーン包囲の失敗以降に衰退し、第一次世界大戦に敗戦して以降近代化を目指す運動の中で滅亡しました。

オスマン1世(オスマン=ベイ)

  • オスマン朝の創始者。ルーム=セルジューク朝の衰退期に頭角を現した。

ムラト1世

  • オスマン朝3代君主。
  • ビザンツ帝国のアドリアノープルを攻略し、エディルネと改称。新都とした。
  • スルタンを称する。
  • 直属軍イェニチェリを創設。
  • 1389年コソヴォの戦いでセルビアを中心とするキリスト教軍を撃破。バルカン半島への支配を固める。

バヤジット1世

  • オスマン朝4代スルタン。
  • 1396年ニコポリスの戦いでハンガリー王ジギスムントに勝利。
  • 1402年アンカラの戦いでティムールに敗北し、捕虜にされる。

メフメト1世

  • ティムール敗北した後に混乱したオスマン帝国を再統一。

メフメト2世

  • 征服王の異名を持つオスマン朝7代目スルタン。
  • 1453年コンスタンティノープルを攻略し、ビザンツ帝国を滅ぼす
  • コンスタンティノープルをイスタンブールに改称し、遷都。トプカプ宮殿を造営。
  • 黒海北岸のキプチャク=ハン国最後の分家であるクリム=ハン国を服属させ、黒海の制海権を掌握
  • ヨーロッパ世界にも進撃し、バルカン半島のほぼ全域も支配下におさめる
  • 国土拡大によって増えたムスリム以外の異教徒にはミッレトと呼ばれる宗教共同体を組織し、信仰や自治を認める寛容策をとった。

セリム1世

  • オスマン朝9代目スルタン。
  • 1514年チャルディラーンの戦いでサファヴィー朝を破る。
  • 1517年マムルーク朝を滅ぼし、メッカ、メディナの保護を掌握。エルサレムを含むイスラームの三大聖地を押さえる。
  • アッバース朝のカリフを保護したマムルーク朝を滅ぼしたことで、ここからオスマン帝国のスルタンはカリフ権も禅譲した、と後に主張される。(スルタン=カリフ制の成立か)

スレイマン1世

  • オスマン帝国全盛期のスルタン。
  • 1526年モハーチの戦いでハンガリーを破り併合。
  • 1529年第1次ウィーン包囲
  • 1536年フランスのフランソワ1世にカピチュレーションという通商特権与えて提携。一方神聖ローマ帝国カール5世とは対立した。
  • 1538年プレヴェザの海戦で神聖ローマ帝国、ローマ教皇、ヴェネツィア共和国に勝利。
  • イスタンブールにスレイマン=モスクを建設。トルコ=イスラーム文化が全盛に。

アフメト3世

  • 衰退期のオスマン帝国が18世紀前半に一時安定した時代のスルタン。
  • フランスとの提携により西欧趣味が流行し、チューリップ時代と呼ばれる。
  • 活版印刷が導入される。

マフムト2世

  • 19世紀初頭のスルタン。近代化政策を推進。
  • エジプト太守ムハンマド=アリーが事実上オスマン帝国から独立
  • 1821~29年ギリシア独立戦争。ギリシアの独立を承認。
  • イェニチェリを廃止。
  • 1831~33年第1時エジプト=トルコ戦争。
  • 1839~41年第2時エジプト=トルコ戦争。

アブデュル=メジト1世

  • 1839年ギュルハネ勅令を発布。タンジマートと呼ばれる上からの近代化・西欧化改革を断行。
  • 1853~56年クリミア戦争。イギリス・フランス・サルデーニャ王国の支援もあり、ロシアに勝利し領土を保全。

アブデュル=ハミト2世

  • 1876年宰相ミドハト=パシャが起草したミドハト憲法を制定。
  • 1877~78年露土戦争。ミドハト憲法を停止し、専制政治へ。
  • パン=イスラーム主義を掲げる。
  • バルカン半島の大半を失う。
  • 1908年青年トルコ革命によって退位。30余年に渡った独裁政治が終了しミドハト憲法が復活。

ムガル帝国

ティムール帝国の末裔であるバーブルがインドで創始したスンナ派のイスラーム王朝。ティムール帝国と同様にモンゴル帝国の後継国家です。インド土着のヒンドゥー教徒と融和に最盛期にはインドほぼ全域で安定した支配を確立します。しかしヒンドゥー教徒への融和政策を弾圧に転じるとヒンドゥー教徒だけでなくシク教勢力などが抵抗。内部分裂が決定的となり、徐々に侵攻していたイギリスやフランスなどの西欧列強によって弱体化しました。

バーブル

  • ティムールの末裔であり、アフガニスタンから北インドに侵攻。
  • 1526年パー二パットの戦いでデリー=スルタン朝最後のロディー朝を倒し、デリーを都にムガル帝国を創始。

アクバル

  • ムガル帝国3代目、全盛期の皇帝。
  • アグラに遷都
  • 非ムスリムへの人頭税(ジズヤ)を廃止しヒンドゥー教徒やラージプートと融和。
  • マンサブダール制という位階制を開始。
  • イギリスが1600年に東インド会社を設立。

シャー=ジャハーン

  • ムガル帝国5代皇帝。
  • デリーに再遷都
  • タージ=マハルを建設。
  • インド=イスラーム文化の最盛期。
  • 1639年イギリスがマドラス(現チェンナイ)を獲得。

アウラングゼーブ

  • ムガル帝国6代、アクバル帝から続く最盛期の皇帝。
  • ムガル帝国の最大版図を実現。
  • スンナ派を熱心に信仰し、シーア派、シク教、ヒンドゥー教を弾圧。
  • 非ムスリムへの人頭税(ジズヤ)を復活。
  • イギリスが1661年にボンベイ(現ムンバイ)、1690年にカルカッタ(現コルカタ)を獲得。
  • フランスが1673年にシャンデルナゴル、1674年にポンディシェリを獲得。

ムハンマド=アリー朝

オスマン帝国のエジプト太守であったムハンマド=アリーが独立して創始された王朝。列強の干渉が進みつつも第一次大戦期までは独立を維持。以降イギリスの保護国時代を経てエジプト王国になります。

ムハンマド=アリー

  • アリー朝の創始者。オスマン帝国の傭兵隊長であったがナポレオン軍との戦いで評価され、エジプト総督となった。
  • 1821~29年のギリシア独立戦争でもオスマン帝国軍として活躍。
  • 1831年シリアの行政権を巡って宗主国のオスマン帝国と対立し、分離独立を目指す第1次エジプト=トルコ戦争を戦う。
  • 1841年第2次エジプト=トルコ戦争で敗北するも、総督地位の世襲を認められムハンマド=アリー王朝となる。

パフレヴィー朝

1925年にイランで興った王朝。独裁的な強権で脱イスラーム的な西欧化を進めましたが、国民への負担が大きく1979年のイラン革命で滅亡し、イランはシーア派イスラームへ大きく揺れ戻りました。

レザー=ハーン

  • イランを治めていたカージャール朝をクーデターで倒し、パフレヴィー朝を創始
  • 独裁的な強権を敷き、イスラーム以前のイランを復興を目指して世俗化・近代化を進めた。

パフレヴィー2世

  • 父レザー=ハーンを継いで1960年代に白色革命と呼ばれる極端な西欧化政策を断行。
  • 民族、宗教、経済などにおける国民感情をあまりに無視したものだったため、1979年のイラン革命を誘発。

このパフレヴィー朝から現在のイランについては、実際のイラン訪問から感じたことも含めて記事にしているので是非ご一読あれ。

支配者について問われないが試験に出ることにあるイスラーム王朝

王朝名や成立時期、シーア派スンナ派の種別、民族系統などが問われることはあるものの、支配者名までは問われないイスラーム王朝というものがあります。

ここまでの支配者まとめに載っていないので忘れられているのでは?と不安に思う向きもあると思うのでここにまとめておきます。

イドリース朝

アッバース朝から自立した最初のシーア派王朝。モロッコを中心とし、フェズを建設。

アグラブ朝

アッバース朝から自立したチュニジアのイスラーム王朝。地中海に侵攻し、シチリア島を領有。

トゥールーン朝

アッバース朝から自立したエジプトのイスラーム王朝。シーア派のファーティマ朝により滅亡。

ファーティマ朝

10世紀にチュニジアで興り、征服先のエジプトでカイロを建設したシーア派イスラーム王朝イスマーイール派を信仰。カリフを宣言し、後ウマイヤ朝、アッバース朝とともに3カリフ鼎立の一翼となりました。アズハル学院の創立や十字軍との戦いもあり、覚えるべき支配者の名前がないのが意外なほどシーア派全盛期における重要な王朝です。

ターヒル朝

9世紀のイランに成立したアッバース朝の衛生的な国家。サッファール朝により滅亡。

サッファール朝

ターヒル朝を滅ぼしてイランに成立したイスラーム王朝。同じくイラン系のサーマーン朝や、トルコ系のガズナ朝の影響下で滅亡します。

ブワイフ朝

10世紀にアッバース朝の都バグダードに入城し、カリフの実権を奪ったイラン系のイスラーム王朝。シーア派で十二イマーム派を信仰。アッバース朝のカリフから大アミールとして認められ、支配権を確立しました。土地を分与し給与分の徴税権を与えるイクター制を創始

後に同じくバグダードに入城するセルジューク朝によって滅亡しました。

サーマーン朝

中央アジアのイラン系イスラーム王朝。都はブハラで、イラン=イスラーム文化を発展させました。イブン=シーナーはサーマーン朝出身。トルコ系のカラ=ハン朝によって滅亡しました。

カラ=ハン朝

最初のトルコ系イスラーム王朝で、サーマーンを滅亡させ、中央アジアのトルコ化を進めました。ガズナ朝やセルジューク朝の圧迫を受けるなか、金と宋に討伐されて西走した遼が変容した西遼(カラ=キタイ)によって滅亡しました。

ホラズム朝

中央アジアのトルコ系イスラーム王朝。全盛期にはイランを含む強力な国家となりますが、チンギス=ハンによって滅亡しました。

ムラービト朝

北アフリカでモロッコを中心に起こったベルベル人によるイスラーム王朝。ガーナ王国を滅ぼし、イベリア半島にも進出、キリスト教軍のレコンキスタ運動と衝突しました。新都マラケシュを建設。同じくベルベル人国家であるムワッヒド朝によって滅亡しました。

ムワッヒド朝

ムラービト朝を滅ぼして北アフリカとイベリア半島を支配したベルベル人のイスラーム王朝。都はマラケシュ。アリストテレス哲学を中世以降のヨーロッパにつなげた哲学者イブン=ルシュドの活躍が有名。

ナスル朝

レコンキスタが進むイベリア半島で最後のイスラーム王朝。都グラナダに造営されたアルハンブラ宮殿が有名。1492年にキリスト教勢力に滅ぼされ、レコンキスタが完成しました。

ゴール朝

ガズナ朝の内部から興ったアフガン系イスラーム王朝。ここから出たアイバクがインドで奴隷王朝を創始します。ゴール朝は分裂の末、最終的にホラズム朝によって滅亡。

ルーム=セルジューク朝

1077年にセルジューク朝から分離して小アジアを支配したイスラーム王朝。十字軍を迎え撃つなど活躍するもモンゴル帝国によって衰退し、イル=ハン国によって併合されました。

チャガタイ=ハン国

チンギス=ハンの次男であるチャガタイの領地に始まるモンゴル国家ですが、14世紀にイスラーム化。後に東西分裂し、西チャガタイ=ハン国からティムールがでます。

ハルジー朝

デリー=スルタン朝の2番目となったトルコ系イスラーム王朝。

トゥグルク朝

デリー=スルタン朝の3番目となったトルコ系イスラーム王朝。ティムールの侵攻を受けて以降衰退しました。

サイイド朝

デリー=スルタン朝の4番目となったトルコ系イスラーム王朝。

ロディー朝

デリー=スルタン朝の5番目となったアフガン系イスラーム王朝。デリー=スルタン朝のなかでこちらだけアフガン系であることが注意点。1526年パーニーパットの戦いでバーブルのムガル帝国によって滅亡しました。

ブハラ=ハン国

ブハラを都とするウズベク人のイスラーム王朝。南下するロシアに保護国化され、20世紀にはソ連のウズベク共和国に取り込まれました。

ヒヴァ=ハン国

ホラズム地方に興ったウズベク人のイスラーム王朝。ブハラ=ハン国同様に19世紀にロシアに保護国化されました。

コーカンド=ハン

フェルガナ地方に興ったウズベク人のイスラーム王朝。ブハラ=ハン国、ヒヴァ=ハン国同様に19世紀にロシアに併合されました。

おまけ:イスラーム史を学習する意義

現代において最も存在感のあるといえる宗教はイスラームでしょう。

宗教改革後の分裂を経て世俗化が進む西洋キリスト教世界に対して、いまだ政教一体型の統治が主流で国をあげてイスラームの体裁を保っている国は多いです。

第一次大戦後イスラーム世界の覇者たる立ち位置にいたオスマントルコが世俗化し、ドミノ的にイスラーム世界での世俗の流れが進むかと思えばそんなことはなく、それから100年が過ぎようとしている現在でもイスラーム世界では若者でも宗教熱が強い人が多いです。

戦争の世紀だった20世紀に武器や兵器の発展が逆説的に先進国同士の全面戦争を実質不可能にしました。

21世紀に新しい戦争の形態として現出したのがテロリズムです。

そして9.11やパリ同時多発テロなどに代表される大規模なテロ事件の主体となっているのがイスラームを標榜する組織であるアルカイーダやISISでした。

しかしイスラーム教徒は果たしてテロ集団なのでしょうか?

争いの絶えない中東ですが、その原因は中東地域やイスラームの前時代性や好戦性にあるのでしょうか?

近年日本でもヒジャブ(イスラーム教徒の女性が公共の場で髪などを隠すすために着用するスカーフ)をついた女性を見かけることが増えました。

彼女らは危険なイスラームという宗教の盲目な信者なのでしょうか?

もちろんすべての問いについて答えはNoでしょう。

元来人間が持っていた宗教はすべてが多神教でした。
しかし古代エジプトのある為政者が独自の一神教を興し、その影響を受けてかどうかは定かではありませんが、後にモーセにより導かれたユダヤ人たちによりユダヤ教が成立します。

さらに時代をくだり、律法を守る形式主義に陥ったユダヤ教に対してアンチテーゼを投げかけ後に使徒によるキリスト教の成立まで止揚させたのがイエスです。

そしてさらに約600年の歳月を経て最後にして最大の預言者とされるムハンマド登場し、ユダヤ教の『旧約聖書』とキリスト教の『新約聖書』を超える真理の預言を天使ガブリエルから賜り、イスラーム教が成立します。預言は後に『クルアーン』としてまとめられます。

つまりキリスト教やイスラーム教はユダヤ教に発するアブラハム系の一神教の系譜に乗った兄弟宗教のようなものです。(事実イスラームではキリスト教やユダヤ教徒は「啓典の民」と呼ばれる。)

このような一神教は世界の宗教の中でも実は例外的なまでに少数派です。
しかし少数派の一神教が世界宗教になったのはそれが一神教であるがゆえに、他の神を認めない排他性をはらんでいるからだと思います。

何かを絶対的に正しいということはその他のものを間違っているの断ずることと表裏一体です。

絶対的な唯一神を信じる自分たちが正しいとなると、唯一神を信じない他者は間違っていることになります。

そして救済のためにその”間違っている”人たちを信仰への開眼に導くことが善行と捉えられます。つまり布教です。

だから一神教同士であるキリスト教とイスラーム教は中世のイスラーム拡大以降、十字軍やイベリア半島でのレコンキスタ、バルカン半島での勢力争い等、宗教的情熱以外の要素を巻き込みつつも、宗教分断を基本要因とする争いを断続的に続けてきました。

その争いは、少なくとも表面建前上は、2003年からのイラク戦争でも続いています。(実際には宗教と関係のない利権の問題が本音としてあるので‥)

では、なぜ同じく拡大志向がある一神教の中でイスラームが過激化しているのでしょうか。

僕はこれは現代社会でキリスト教国が勝者となっているからだと思います。

現在問題を抱えているイスラーム国家には、パキスタン、アフガニスタン、イラク、イランなどがあります。そのどれもが19世紀以降の列強の時代にアメリカ、イギリス、フランス、ロシアなどのキリスト教国に翻弄され、権益の配分、委任統治、国境の変更、植民地化などを通して、現代に残る争いの種を植え付けられてしまったのです。

イスラーム内でのスンナ派とシーア派の対立、石油をはじめとする資源問題、エルサレムにおける3宗教の聖地問題、パレスチナ問題、クルド人をなど多くの争いの原因がいまだ残る中東。シリア、イラク、イエメンなど長らく政情が安定せず、紛争状態が続いている地域もあります。

日本ではどうしてもこのような状況を地域の後進性や石油問題のみを考慮し「中東に問題がある」と考えられることが多いと思います。

そして「中東」は多くの場合「イスラーム」と結びつけて考えられます。

しかし、前述のとおり、現在残る中東問題はイスラームの性質によるものだけが原因ではありません。

もちろん一神教である以上、イスラームにも拡大性質がありますが、それはキリスト教にしても同じことです。

むしろ歴史における実績でいえばキリスト教の方がよっぽど残虐性を伴う拡大を見せてきたように思えます。

  • 十字軍の画策し、イスラームと全面衝突した。
  • キリスト教圏においてカタリ派などの異端を殲滅した。
  • 大航海時代に南北アメリカ大陸の原住民を殲滅し”Our land”にしてしまった。
  • アメリカは西走を続け、ハワイ、フィリピン、グアム、中国と占領し、日本に核兵器を使用。
  • その間に英仏などの欧州列強はアフリカを分割し、西側からアジアへ侵攻。中東、インド、東南アジアを勢力下に組み込みながら中国分割へ。

これらの歴史はすべてキリスト教国が主体となって引き起こされた悲劇です。

しかし、近代以前のキリスト教の破壊行動が現在のキリスト教徒と結びつけて語られることはほとんどありません。

さらに上記リストの後半の列強による世界侵略も、キリスト教思想を原因とするものとしては認識されていません。

何故でしょうか?

僕はやはりこれも、現代で支配的なイメージを作っているのは勝者であるキリスト教国だからだと思います。

特に日本は世界を日本と西洋の二分法で考え、日本以外のアジア地域やアフリカ、ポリネシア地域などを無視して思考しがちです。
(例として、英語などの印欧語にない語彙で日本語にあるものは「日本独自の語彙」だと安易に考えたりする。そのときに隣国で言語体系が似ている韓国語には同じような語彙はないのかな?という発想にはなりにくい。)

日本は西洋の視点から日本がどう見えているか常に気にし、他の地域についても西洋がどのようなイメージで語っているかを通して観察しています。

だから9.11のあとにアメリカがイランは悪の枢軸だといわれれば、イランやイスラームは危ないんだ、と思ってしまいます。

ここで一度立ち止まってみましょう。

安易にイスラームは危ないと考える前に。

僕たちはイスラームというものを直接みようとしたことがどれだけあったでしょうか。

イスラームはどんな宗教で、どんな歴史や文化を持ち、いまだに世俗化せずに魔術的な影響力を保っているのはなぜなのか。

今後経済発展と人口増大によって影響力と存在感を強めることが想定されるインドネシアは人口で言えば世界最大のイスラーム教国です。

BRICsの一角をなし、すべてにIT業界を中心に存在感を増しているインドも日本の総人口を超える人数のイスラーム教徒を国内に抱えています。

日本でも街でモスクを見かけることがあります。前述のとおりヒジャブをまとう女性も増えました。

もはやイスラームは日本には関係がない遠く異国の宗教といって無視したままでいることはできません。

いったん世間で言われる過激派テロ組織のイメージを通して観察されるイスラーム、謎めいた後進性と共に語られるイスラーム、紛争が絶えない中東地域の混迷の根源ともくされるイスラームを脳内から排し、フラットな視点でイスラームそのものの発展を学習することには意義があるはずです。

以上、おまけでした。
本当は「はじめに」としてこの記事の最初に載せていたんですが、まあ「さっさと本題に入ってくれよ、、、」という長さになってしまったのでおまけになりました。

では、読んでくれてありがとうございました。
いつも勉強おつかれさま。

ABOUT ME
ささ
25歳。 副業で家庭教師をやっているので教材代わりのまとめや、世界50か国以上旅をしてきて感じたこと・伝えるべきだと思ったこと、ただの持論(空論)、本や映画や音楽の感想記録、自作の詩や小説の公開など。 言葉は無力で強力であることを常に痛感し、それでも言葉を吐いて生きている。 ときどき記事を読んでTwitterから連絡をくれる方がいることをとても嬉しく思っています。何かあればお気軽に。