言葉・言語一般

日本人の英語が苦手な原因!「言語間の距離」とは?

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「言語間の距離」とは?

「言語間の距離」とは英語ではLinguistic Distanceと呼ばれる概念で

”ある言語や方言(dialect)ともう1つ別の言語や方言が、どれだけ異なるか”

を表します。

英語を学ぶ時・・・

例えば、

始めて英語を習った時のことを思い出してみましょう。

日本語と同じだ!と思ったことがどれだけあったでしょうか。きっと

日本語と全然違う!!

なんで日本語でこうなのに英語では違うの!?

こういう反応の連続だったと思います。

  • aとかtheって何?どうして必要なの??
  • 複数形??two dogでも犬2匹ってわかるじゃん!
  • アルファベットだ・・・外国語だ・・・!!
  • 3単現のS・・・?なんでいるの?
  • I my me mine・・・?全部 I でもいいのに!

中学1年生の1学期から不思議だらけでしたよね?

僕もそうでした。

これは、日本語と英語の言語間の距離がとーーっても遠いからです。

この経験のから僕たち日本人には

「外国語というのはそれぞれ全然違うものなんだ!」

ということの刷り込まれます。

そして僕たちは4か国語を操るスイス人などを見るとおったまげてしまいます。

スペイン語やフランス語を学ぶと・・・

僕が大学に入って学んだ外国語にスペイン語やフランス語があります。

英語は普通に話せるようになった段階で学んだこれらの言語ですが、最初に抱いた感想は

「英語と同じじゃん!」でした。

もちろん動詞がたくさん活用したり、名詞に性があったりと英語と異なる部分はありますが、大枠は同じなんです。先ほど英語に抱いた疑問に対称させると

  • aやtheに当たる語がある(un, elなど)
  • 複数形になる (dos perros=two dogs)
  • ほとんど英語と同じアルファベット(例外 ñ )
  • 3単現どころか、1.2.3人称、単数複数すべて活用する
  • yo mi me mío = I my me mine

にようにすべて英語と同じように当てはめることができます。

正直簡単な文であれば、頭の中で書いた英文の単語だけスペイン語にすり替えていくだけで、スペイン語でも文章として成立するのです。

(日) 私 は 学校 に 行き ます。
       ↓
(英) I ? school to go ? .

 全く成立しません。一方で

(英)I go   to    school .

(西)Yo voy a (la) escuela.

 英語とスペイン語では単語レベルの処理のみでほとんど完璧な文をつくれます

これがスペイン語とフランス語ではもっと似ています。

文法は基本レベルではほとんど同じと言っても差し支えないでしょう。

これは英語とスペイン語の言語間の距離が近く、スペイン語とフランス語はさらに近いという言い方で説明されます。

世界の言語の位置関係

この画像はイギリスの大手新聞The Guardianが掲載したこちらの記事で紹介された、世界の言語を分類分けしたものを1本の木をモデルに示したもの。

Language Family Treeと呼ばれています。

こうみるとそれぞれの言語が他のどの言語と似ているのか一目瞭然です。

そもそも言語の区分というのは言語自体の性質や特徴というよりは政治的な区分によって切り貼りされたものです。

例えば沖縄弁や奄美弁は日本語の方言だと考える人が多いですが、純粋に言語学的にみるとこの2つは日本語からは独立した、琉球語・奄美語という別言語だとみなされています。

沖縄や奄美出身のみなさん、どうどうとバイリンガルだと胸を張りましょう。

また、歴史的にも言語区分がここまではっきりしてきたのは近代以降です。

ルネサンス期までのヨーロッパ諸国では、それぞれの現地語はあったものの、知識人や支配階層の共通語はラテン語でした。しかし、ダンテが『神曲』を現地の口語であったトスカナ語で書いたことから、母国語への意識が芽生えます。

フランス革命を経て、世界ではは国民国家(Nation-state)と呼ばれる、政治機構である国家とその構成民族である国民を一致させようという国造りが盛んになります。

このときに形成されたのが国民文学(National Literature)という概念です。言葉によって国民意識の結束を促そうという動きです。

実際日本の国民的作家である森鴎外や夏目漱石は、西洋文明と接触したことで日本で起きた近代化の時代を生きた文豪たちです。

国民国家として団結している周囲をみて、日本も時代の波に乗る必要がありました。

同時に出版や通信や交通の技術の発達により、国中に同じメディアが届くようになります。

そうすると同じメディアを受ける地域では言語の均質化が起きます。

このようにして徐々に

うちの国はフランス語だよ、この川からこっちはドイツだからうちはドイツ語だよ

という風に言語の区分がはっきりしてきました。

ですから極端な話、スペイン語、ポルトガル語、フランス語、イタリア語などはすべてラテン語の地方方言で、それにあとから政治的な枠組みに合わせて区分を設けた、という感じなのです。

つまり

例えば僕たちがドイツ人だったら、初めて習う外国語の英語は、僕たちのドイツ語にとても似ていると思うはずです。

少なくとも僕たちが日本人として英語を習うときほど

「僕らの言葉ではこうなのになんで英語ではああなんだ!!ぬあーー!!」

という気持ちになることは少ないでしょう。

そして高校や大学で第2外国語として隣国のフランス語あたりを習うでしょう。

ゲルマン系の枝からは外れますが、まだまだ近いロマンス(ラテン)系の言葉。全然似ている方です。(僕が英語からスペイン語を習った時の気持ちでしょう。)

こうなったとき、僕たちドイツ人は思うでしょう。

「外国語ってのはそれぞれ結構似たところがあるもんなんだな!」と。

日本語の立ち位置は・・・?

さて!

少々小難しい話が続きましたが、いよいよ日本語についてです。

先ほどのLanguage Family Treeで日本語を探してみてください!

・・・

・・・

・・・

・・・ない!? あれ?ない?ですよね!!

そうなんです。

日本語はさっきの画像には載っていません。

あれは実はインド=ヨーロッパ語族とウラル語族のみを扱ったものです。

この世界にはまだまだたくさんの言語があるので

日本語もこの二つの語族には入らないものとして除外されているんです。

実はアルタイ語族やオーストロネシア語族、シナチベット語族なども含めた

フルメンバーの言語地図みたいなものを調べれば出てきます。

そこでは日本語は 完全に孤立しています。

他に同じ幹から生えている枝がないんです。

これは日本語という言語のルーツがいまだ不明なのでこうなっているのであって

決して日本語が他の言語との関りが一切ないところから降って湧いたように現れたという意味ではありませんよ。

しかし一般的に日本語と最も言語間の距離が近いと言われる朝鮮語(韓国語)も同様に孤立した言語です。

モンゴル語などと同じ系統から現れたとか、現代トルコ語の祖先を共有している可能性があるとか、いろいろな予測や研究があり、

統語論的な分析を踏まえると説得力はあるのですが、現時点では確証に至る証拠がありません。

つまり日本語はあらゆる言語から、遠いところにある言語ということです。

そしてこの距離は、外国語学習の際、ダイレクトに不利に働きます。

英語話者がスペイン語を学ぶのが比較的簡単であることは示しましたね。

日本語から英語を学ぶのとは大きな違いだったと思います。

この言語間の距離こそが、日本人が英語を苦手とする最大の理由のひとつだと僕は考えます。

日本人は何故英語ができないのか

上にも書いた通り、英語との日本語の言語間の距離の遠さが、日本人が英語ができない主たる要因だと思います。

仮に世界共通語が韓国語だったら、日本人がここまで言語能力に卑屈になることはないと思いますよ。たぶんもっとも韓国語を流ちょうに操る民族のひとつになってたと思うので。

現在の英語が実質的な国際語になった状況では、英語から見て比較的距離が近いスペイン語圏やフランス語圏、ロシア語圏(スラヴ系とはいえインド=ヨーロッパ語族です。キリル文字もラテンアルファベットを覚えていれば組み換えと+10くらい覚えるだけなので2日で覚えられます。)の人々の英語力と比べれば

正直日本人の英語力は悪くないと思います。

教育水準もかなり高いですし。

ただこういう言い方をすると日本の英語教育に問題があるとどうしても言いたい人たちからの反発があると思うので

結論に変えて、日本人が英語ができない理由を、冷静に、多角的に考えてみます。

理由① 英語と似てなさすぎる(言語間の距離問題)

やっぱりこれが最有力だと思います。

理由② 日本に経済力があるから

単に生き抜く手段として語学を学ぶ必要がないという状況のせいで、日本人には英語を習得するに十分なプレッシャーを与えられていないという見方もあります。

海外にいかなくても、日本国内に仕事は溢れるほどあるのです。

理由③ なんでも日本語で手に入るから

理由②と重なりますが、映画・ドラマ・小説・ビジネス本など、僕たちが消費者として日常的に欲しいと思うものはすでに日本語に訳された状態で手に入ることが多いです。原語で楽しみたい!という方も中にはいますが、大概の人が「自分の拙い英語力よりもプロの翻訳の方が信頼できる」ということにすぐに気が付きます。

実際に研究者の方など、英語ができなければ話にならないという状況に置かれている人は、英語できてますし、これも大きな理由のひとつでしょう。

小国の学生などにどうやって英語を学んだか尋ねると、「アメリカのドラマを観たかったから(観ていたから)」と答える人も多いです。

理由④ 日本が植民地になったことがないから

ある意味アメリカの植民地のような現状ですが、日本は外国に植民地支配された歴史を持ちません。それゆえに外国語を押し付けられたこともないし、なんなら外国語が生活に混ざり合ってくるという経験自体がないのです。

旧フランス支配下のインドシナ地域や、イギリス支配地だった香港、日本が支配した朝鮮、英領インド帝国だったインドなどでは、今でも文化とともに支配国家が使用していた言語の影響や名残も残っています。

理由⑤ 日本語の持つ音が少なすぎる

音声学的に日本語は他の言語と比べてかなり少ない音の種類で構成されています。母音が5つしかないというのは、二重母音なども含めて母音が26あると言われる英語と比べても相当少なく、中国語に至っては母音が36もあるそうです。

(細かく正確に音声学的分析をすれば日本語の音にも実はもっと種類があるのですが、仮名という表音文字に従って僕たちの耳は入ってくる音を分類化するので、日本語話者の主観では結局仮名とその組み合わせでしか音を認識しないのです。)

そのせいで日本語には同音異義語が大量にあり、漢字はその区別を明確にする機能も果たしていますね。それはそれで脳の中で面白い処理が起きていそうですし、俳句の掛詞などの文化にも表れている興味深い言語的特徴であるのですが、語学習得という面では圧倒的に不利でしょう。

知らない音を創れるようになる練習がいるのですから。ここでは大は小を兼ねるといったところか。

理由⑥ 恥の文化

日本人は「空気」の文化、そして「恥」の文化の中で生きているとよく言われます。全体主義的、集産主義的な文化である一方、個人個人はやけに自意識過剰で、他人が自分をどう見ているのかが気になります。そして実際に互いにしっかり観察しあっているというのも事実でしょう。周囲と足並みを揃えることが美徳とされ、出る杭はぶっ叩きます。そして当たり障りのない態度を良しとし、感情をあからさまに表現することを悪しきとし。それが日本の従来の文化的傾向でした。

この文化にはもちろん良い面と悪い面があり、西洋文化や中華文化と比べてどうこうというのとは別段ないのですが、語学習得という話になると足枷なります。

やっぱり英語ネイティブみたいな発音を、クラスの前で音読するときに真似るなんて恥ずかしいっすよね。うんうん。

インド人とかの「これはインド英語なんだ!!マハラジャ!!」と新しいスタンダードを創造することで発音問題を解決する気概は見習っても良いかもしれません。

理由⑦ 日本の遅い&文法偏重の英語教育

はい、みんなが批判するのが大好きな理由です。

確かに言語の運用能力をあげたいのであれば幼いころからのイマ―ジョンプログラムを導入するのが手っ取り早いかもしれません。日本の英語教育は始まるのが遅いですし、早く始めたとしてもしっかりと指導できる教員が足りていません。

僕は文法偏重の教育には割と賛成なのです。語学としてというより科目としての英語なので、文法ルールを覚えて使えるかテストすることで知能は図れますし。詳しくはこちらね↓

どちらかというと問題は文法偏重であることよりも、生徒が完全なる受け身学習に徹していて、アクティブラーニングの取り組み方を一切知らないことです。そのせいで生徒は自ら考える大切さと、勉強する楽しさを忘れます。

しかし、話を戻すと、政府も近年実用英語をごり押ししていますから、オーラル的な授業が増えれた多少は変わってくるかもしれませんけどね。僕はまだ懐疑的ですが。

まとめ

言語間の距離が日本人が英語を苦手とする理由だ!

という主張から話を広げて、日本人が英語が苦手な理由を多角的にまとめてみました。

まあ実際「これが原因だ~!これを解決すれば良いのだ~!!」という単純でわかりやすい意見は、受け入れやすいかもしれません。

しかし実際はそんな単純な理由で物事が定まるはずもなく、いろいろな理由があるわけです。

そもそも英語できるようになる必要あるのか問題にも諸説ありますしね。

僕は結局は「何語を話しているかよりも、何を話しているか」だと思っていますが。

日本語を母語とする人々にとって、英語という遠~い外国語は相対的に難易度が高いです。しかしその壁さえ超えてしまえば、その近くにはヨーロッパ言語を中心とした、似たり寄ったりのものがたくさん落ちていて面白いですよ。

気になったら他の言語や語族の言語間の距離も調べてみてくださいね~。

ABOUT ME
ささ
25歳。 副業で家庭教師をやっているので教材代わりのまとめや、世界50か国以上旅をしてきて感じたこと・伝えるべきだと思ったこと、ただの持論(空論)、本や映画や音楽の感想記録、自作の詩や小説の公開など。 言葉は無力で強力であることを常に痛感し、それでも言葉を吐いて生きている。 ときどき記事を読んでTwitterから連絡をくれる方がいることをとても嬉しく思っています。何かあればお気軽に。